松原さんの【裏マガ】のコラムに

『BAとBSの正確な違い』

が載っていました。


コラムの最後のほうの文章を

引用します。

  ↓ (青い字が引用部分)


■BAはないものをあることにする。

BSはあるものはある、ないものはない。

この差が2つのポジショニングを隔てる最も本質的な違いになる。

BAができる想像は無限にある。

また取ることができる情報(TS)や知識(BA)も無限にある。

そこから可能性と選択を考えることができ

主に成果を導くために必要な手札を切る。

それに長ければ長けるほど、ない側(裏側)からのアプローチで

この現実世界を動かしていくことができる。

反対に、それに長ければ長けるほど

  あるものを軽視したり

  何事もないものを想定したり

  現実から離れた「全ての知覚」を現実としたり

して、不整合と不都合を招く。

現実乖離する。


■BSはないものをないとする。

あるものがある。

あるものが何か?によって物事を組み立てる。

または【既にそうである】という物事は何か?によって進める。

BAが長いと、この見るも明らかな現実が見えなくなってしまう。

余計なことを考え、無駄にプロセスを踏む。

BSは現実と現実足らしめるが

「ないものはない。1ミリも可能性はない」としてしまうと


発展性や創造性を失うことになる。

性格でいえば杓子定規で融通が利かない者になる。


■このBAとBSの考え方は明らかに相容れない。

だが矛盾しない。

人がこれを扱う時は、

今自分の物事を考えるときに

「ないがある」と想定した方がいいのか

「あるものがある」と現実を見た方がいいのか

それともどちらも採用した方がいいのか

自分をただ単純に上手く運び、

選択肢を広げて可能性を追求できる方向で考えるようにする。

以外にこれができている人は少ない。

特に逆次の人はBAしかできないし

二次の人はBSしかできない。

それも悪い使い方しかできない。

閉じた自分の可能性を消さないために使う。

一次として両方を自分を生かすためだけに使いたいものだ。


(今、最新松原コラムはFBページで不定期連載してます。
 こちらもチェック&「いいね」どうぞ!
 https://www.facebook.com/matsubarayasuki



この文章の


BAはないものをあることにする。

逆次の人はBSしかできない。


BSはないものをないとする。

二次の人はBSしかできない。


を読んで、


うわ、

「ないものはない」と思って

さっさと諦める私は

二次だっ!

と、あっさり判明。




そして、逆次さん

(二次の私の周りにけっこういらっしゃる・・)は

自分の欲しい答えを徹底追及して

「ないものをある」に出来る環境を

作り上げる。

そして、その作り上げた環境から

出てこない。


とりあえず、二次の私は

今あるものを組み立てるのは

得意なはずなので、

今ないものを作ってみる、ということも

考えてみようっと。



読者登録してね