お金って
エネルギーだから、
積極的に払わないと
入ってこない、と
ちまたでは言う。
私も素直なので(笑)
「どうもお金の回りが悪いのは
私がまだ払い足りないからだ」
「運気を上げて、
お金を引き寄せる運を
身に付けなければ」と
思って、
実際に行動してきた。
そして、ここ1ヶ月くらい
「お金の運気のためにと思って
支払ってきたけど、
どうも違うらしい」と
出費をグッと縮めた
(というより、
強制的に縮めざるを
得なくなった)。
そんなここ1ヶ月で
気付いたこと。
「お金では
運気は買えない」。
運気を上げるために
支払っただけでは
お金は来ない。
ただ、請求書の分だけ
出て行くのみ。
そんなの当たり前!
なんだけど、
私はズボラして
「行動はしないけど
お金は払っといたら
勝手に良くなるだろう」と
支払ったものが
結構ある。
インチキなヒーリンググッズとか。
(なんでインチキって分かったか、というと
手にして、あまりの悪趣味さに
とても身に付けられず、
貴金属引き取りに見てもらったら
「貴金属として全く価値がありません」と言われ、
趣味が悪い上に
貴金属として価値がないってのは
どうしようもないなぁ、と
気付いたから。
きっと、ああいうのは
それを悪趣味と思わず身に付ける人に
気分的に効果があるんだろう。)
「お金はエネルギーなので
支払わないと、
入ってこない」という言葉を見たとき、
お金が入ってくるのを期待して
お金を払う、というのは
「お金が出て行く」だけ。
お金が入ってくる、という期待感に
お金を支払ったことで
取引成立、終了。
お金が入ってくるのと
お金を支払うのは
別の次元、なのだと思う。
例えば、
心屋さん界隈で言う
『神社ミッション』は
「今までの自分の、お金に対する常識を破った行動をしてみて
ドキドキし、新しい経験をする」という
神社型アトラクション、
なのだと思う。
そのドキドキ経験で
一万円なりの取引成立、終了。
神社ミッションでの支払いが
その後のお金の流れに変化をもたらしたとしたら、
「お金に対しての常識を破る」という
行動を実際に取った、と
いうところにある。
私も、実際に
神社ミッションをやりました。
一万円で。
その後、お金がドンと入ってきたか、と言えば
収入が上がった一面もあれば、
今みたいにキュウキュウしてる時もある。
ただ、実際にやってみて
変わったのは
「神頼みをしてもいいんだ」
という思い。
それまでも、お参りはしていましたが
「その他大勢の私のことなんて
神様は気に掛けていないだろうなぁ」という、
諦めとか拗ねた気持ちが
どこかにありました。
それは、逆に言うと
「どうせ神様なんてアテにしていないけど」
礼儀だから一応付き合ってるわよ、
みたいな感じ。
神社ミッションを
するということは、
私にとっては
「私は神様の存在を認めてて
アテにしてますよ!
このお金で、良く祀ってもらってね」という、
相手(神様)が居るのを
アテにしよう、と
決心する行為。
これを書いてて
気が付いたんだけど、
普段から
「何かをアテにしないでも
大丈夫な自分」をベースに
考えている。
人をアテにしない、
神様をアテにしない、
お金をアテにしない、
それでいて、何よりも
自分をアテにしている。
全てが私を見捨てても
私は自分で乗り切れる!と
アテにしている。
で、
アテにしていないお金で
買った運気は
アテにならない。
人をアテにしてなかったら
本当にアテにならなくなる、とか
テキトーな神頼みは
アテにならないのと
同じ。
人に頼らないようにしなきゃ、と
思えば思うほど、
頼りにならない人ばかり寄ってくる。
お金を頼りにしないで
「あんたより頼りになる『運気』を連れて来て!」なんて
言ってるから、
頼りにならないお金になる。
そうやって
お金をバカにしてたから、
いつも定期的に
10円1円にキュウキュウするような時期がやってきて、
「ほら、オレたちって頼りになるでしょ?」と
お金たちが訴えてきてたんだな。
お金と、人と
神様を
もっと頼りにしよう。
そして、今まで
過度に頼っていた
自分を
頼ってる分、大事にしよう。
頼りになるものを、大事にするのが
基本。
頼りになれ!と使い捨てにしたら
そりゃあお金だって怒るわな。
私だって怒るわ(笑)。
