大相撲を楽しくする | (元)無気力東大院生の不労生活

(元)無気力東大院生の不労生活

勤労意欲がなく、東京大学の大学院に逃げ込んだ無気力な人間の記録。
学費を捻出するために、不労所得を確保することに奮闘中。
でした。

 実は、私は大相撲が大好きでした。

 過去形なのは、最近あまり見ていないからです。以前なら、15日間で見ない日はないぐらいでしたが、最近は5~10日位しか見ません。それでも見ている方でしょうが、一時期の熱狂は私の中でありません。何と言っても、中学生の時には、フジテレビで放送されていた「カルトQ」の相撲の回の予選にまで参加していましたから(結局、予選落ちでしたが、旧フジテレビ社屋での予選の際に、ダウンタウンの御二人を間近に見たことは今でも鮮明に覚えています)。

 どうして、大相撲を見なくなったかというと、単純に「つまらない」からです。少し前までは、もっと毎日ワクワクしていたのですけど。原因は、別に朝青龍が強すぎるからではありません。勝負が淡白になっているからです。勿論、以前も淡白な勝負は沢山ありましたが、最近は殆どの勝負が淡白です。やる気すら見えてこない力士がいるように私には見受けられます。

 では、どうして淡白な勝負に終始する力士が増えたのか、原因はいくつもあると思いますが、私の考える第一の原因は、力士の大型化です。以前から、この点は指摘されていて、力士の大型化が怪我を誘発し、力士は怪我を恐れる余り、淡白な相撲が増えるという構図のようです。大型化の時代に、朝青龍のようなスピードと技の切れ味に優れた力士が現れたのはひとつの光明でしょうが、横綱一人ではどうにもなりません。理想は、一人一人の力士が肉体改造をして、技と力がバランス良く発揮できるようになることがベストでしょうが、これは期待薄でしょうし、高齢の力士には酷な話です。大柄な体と力で現在の地位まで上り詰めたわけですから、それを変えるのは容易で無いでしょう。

 そこで、ここはひとつの荒治療を提案したいと思います。それは、土俵の拡張です。現在の土俵の大きさは戦後定着化したもので、それ以前は一回り小さいものでした。所与のものと思われがちな土俵の大きさも変更可能なものなのです。極端に大きくする必要はありません。一回り大きくすれば良いのです。こうすれば、今以上に技や力の攻防は増すはずですし、中途半端な体調では横綱であっても簡単には優勝できなくなるはずです。勿論、今以上に朝青龍が独走する可能性もあります。その場合でも、朝青龍の華麗な相撲を今以上に見ることが出来るようになるはずです。

 この改革は、相撲協会の英断ひとつで実行可能です。一度くらい、検討してみても良いのではないかと私は思います。