おはようございます。仁哲です。

ご訪問ありがとうございます。

前回の音声学の比較に続き、

日中の音声への価値観の違いについて、

俳句と漢詩を通して見てみましょう。

 

まず、俳句を見てみましょう。

 

古池や 蛙飛びこむ 水の音

(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)

 

この俳句は、広く知られている松尾芭蕉の俳句ですね。芭蕉が43歳の時に書いた作品です。

古い池に蛙が飛び込む音が聞こえてきた、という情景を詠んだ句です。

次に漢詩を見てみましょう。

 

望廬山瀑布(李白)

日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂前川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天

 

日本語訳

廬山の瀑布を望む

 

太陽が香炉峰を照らして紫の靄を漂わせ

遥かに遠い川の向こうには滝がかかっている

飛流直下三千尺

まるで天の川が天空より落ちてくるかのようだ

 

この詩は李白が56歳の時に書いたもので、

中国で広く知られています。

 

今回の主旨は俳句と漢詩の比較ではなく、

俳句と漢詩を通して、

日本人と中国人の音声への価値観の違いを説明するためです。

 

蛙が池に飛び込むのは、

特別なことでもなんでもないけれども、 

その一瞬の出来事、

特に音の静かさに、日本人は美を見出しているといえます。

一方、中国人は、この李白の詩の高いところから流れ落ちてくる滝が出す高い音に美を見出しています。

私は俳句も漢詩も好きです。

日本に暮らし、日本語を勉強し続けたら、

俳句などのハイカルチャーも受け入れるようになりました。

これも外国語を勉強することのメリットの一つだと思います。