・書評:「フィリピン少年が見たカミカゼ」 | アジアの真実
2007年10月27日

・書評:「フィリピン少年が見たカミカゼ」

テーマ:書評・映画評

フィリピン少年が見た「カミカゼ」―幼い心に刻まれた優しい日本人たち (シリーズ日本人の誇り 7)
ダニエル H.ディソン
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 以前当Blogで紹介した「日本人はとても素敵だった」「帰らざる日本人」 と同じ桜の花出版社の”日本人の誇り”シリーズの最新刊「フィリピン少年が見たカミカゼ」 を紹介します。


 フィリピンのマバラカットという場所に、神風特攻隊の記念碑があります。ご存じの方も多いと思いますが、ここは神風特攻隊が生まれた場所です。神風特攻隊第一号はここから発進しました。その場所に記念碑を作ったのは日本政府でも日本人の有志でもなく、一人のフィリピン人”ダニエル・H・ディソン氏”でした。彼は何十年もかかって地元の自治体に働きかけ、記念碑の設立に半生を掛けました。東南アジアでは最も反日と言われるフィリピンでなぜこのような記念碑を作ろうとした人がいたのでしょうか。彼は何を考え何故記念碑を作ったのでしょうか。その理由はディソン氏が書かれたこの書籍に記されていますが、それは彼が戦時中に接した日本軍の将兵達との体験が大きな要因になっています。

 

 この本には、アメリカが支配していたフィリピンで過ごした幼少時代の生活、そして無敵かと思っていた米軍を打ち破って日本軍が現れたこと。その日本軍の将兵達との厳しくも楽しい生活のこと。そして日本軍が負けて去っていくまでを、包み隠さず正直に書いています。

 日本軍への基地に遊びに行って、描いた絵がとても気に入られ、かわいがられたこと。仕事を手伝って食べ物をもらったこと。そんな日常の中での日本軍の様子はリアルで目に浮かぶように鮮やかに書かれています。そして、その他にも様々な日本軍のフィリピンでの行動がこの本には記されています。

 日本軍の最悪の虐待と言われる、所謂”バターン死の行進”を間近で見たディソン氏は、規律に反して捕虜に食料を差し出す住民を黙認し、時にはトラックで近くの村まで捕虜をこっそり連れてきて食料を与える日本の将兵達の姿を目撃して記しています。そして、バターン死の行進を、一般的に言われているような一面的な見方だけで見るべきではないと訴えています。また、確かに売春宿はあったが、強制された従軍慰安婦などは一人もいなかったという事実や、日本が行った教育の中には、アメリカは決して行わなかった現地語(タガログ語)の教育があったという事実も伝えています。しかしながら、日本軍による現地人へ対する虐殺があったことも包み隠すことなく記されています。それは現地人が日本軍を騙したことや、戦闘中の混乱の中で行われた結果など様々な要因があったのですが、その要因と共にそういった一面も正確にディソン氏は伝えています。ディソン氏の文に嘘がないような印象を受けるのは、こういう事実も隠さず伝えているからかも知れません。

 

 台湾や朝鮮と違い、戦時中に軍事占領されたフィリピンで日本が行ったこと。良い面も悪い面もこの本が教えてくれています。反日的な声が多いフィリピンの声と、逆に日本を擁護するような声の二面があるのは何故かという疑問に対し、同じく日本軍と密接に接したディソン氏の奥さんが語っています。

 「戦争中、日本人と親しくしていた人たちの話は、一般のフィリピン人のそれとは全く違います。そういう人たちは日本人の本当の姿を良くわかっていました。つまり、日本人のことをどう言うかというのは、その時日本人との間にどのくらいの距離があったのかで決まったのだと思います。日本人に近づこうとしなかった人たちはずっと日本人の本当の姿を知ることはありませんでした。私はそれをとても残念に思います。」

 これはある種の答えなのかかも知れません。


 そして、当時の日本人と親しく接し、その結果記念館の設立に尽力してくれたディソン氏と、その存在を認めてくれているフィリピンの人々(現在は現地観光局の管理)に感謝したいと思います(ある国ではこういう建造物が建つと反日勢力によって潰されるという悲しい事件が起こります)。


以下の写真は、最近新しく建て直された神風特攻隊慰霊碑の写真です。この写真は、ここへ旅行された方のブログから許可を得てお借りしています(→カミカゼ・イースト:気まぐれタクシー・どこまで行くの??様 )。 








 

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