真実を語るのは口か眼か/真
こんにちは、真です。
世の中には嘘と分かっていて、嘘をつく人がいます。
嘘も方便といいますが、何かを偽る事を前提とした嘘は、それと見抜くことが難しかったりします。
同時に、嘘をついている本人が、それを嘘と気付かずに真実と信じている場合も見抜くことは難しくなります。
受ける側がある程度の常識を備えていれば、それらの嘘を問題なく回避できますが、嘘をついている本人がそれを真実と信じている場合は、嘘を見抜けても別の問題が発生します。
ある嘘を信じる者にそれが嘘だという事実を突きつけた場合、それは自己の否定以外のなにものでもなく、世界の終わりを見ているようなそんな感覚に見舞われることでしょう。
人によって常識や善悪の判断の基準はそれぞれに違うので、ある人が明らかに嘘である事を真実であると主張することもまた、世界の真実であると言えるでしょう。
世界には曖昧なものが沢山あります。霊とか魂といったものもその中に含まれます。
真実はどこにあるのでしょう。
厳しい選択ですが、私は嘘をつきたくないのです。
だから私は偽りません、いつでも世界と向き合っていたいから。
では、真でした。
世の中には嘘と分かっていて、嘘をつく人がいます。
嘘も方便といいますが、何かを偽る事を前提とした嘘は、それと見抜くことが難しかったりします。
同時に、嘘をついている本人が、それを嘘と気付かずに真実と信じている場合も見抜くことは難しくなります。
受ける側がある程度の常識を備えていれば、それらの嘘を問題なく回避できますが、嘘をついている本人がそれを真実と信じている場合は、嘘を見抜けても別の問題が発生します。
ある嘘を信じる者にそれが嘘だという事実を突きつけた場合、それは自己の否定以外のなにものでもなく、世界の終わりを見ているようなそんな感覚に見舞われることでしょう。
人によって常識や善悪の判断の基準はそれぞれに違うので、ある人が明らかに嘘である事を真実であると主張することもまた、世界の真実であると言えるでしょう。
世界には曖昧なものが沢山あります。霊とか魂といったものもその中に含まれます。
真実はどこにあるのでしょう。
厳しい選択ですが、私は嘘をつきたくないのです。
だから私は偽りません、いつでも世界と向き合っていたいから。
では、真でした。