前回に引き続き、札幌シリーズをお届けします。
前回は、札幌市時計台の正式名称が「旧札幌農学校演武場」であることはお伝えしました。
その時計台について、もう少しふれてみます。
今は、時計台として有名でしたが、完成した当初には時計塔はなく、授業の開始や終了を告げる小さな鐘楼が屋根の上にありました。演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われています。
据え付けられた時計は、校地内の天文台(観象台)で天体観測を行い時刻調整を行ったのち、1881年(明治14年)8月12日、塔時計は澄んだ鐘の音とともに正しい時刻を札幌の住民に知らせ始めました。
塔時計は1888年(明治21年)に札幌の標準時計に指定され、1里四方に響き渡った鐘の音は「農学校の大時計」として市民に親しまれてきました。
1903年(明治36年)に農学校が移転した際、演武場は当時の札幌区が借り受け、この頃から演武場は「時計台」と呼ばれるようになりました。
1961年(昭和36)札幌市の有形文化財第1号に指定されたのち、1970年(昭和45年)には、国の重要文化財になりました。
1996年(平成8)には環境庁の「日本の音風景百選」に選定され、さらに2009年(平成21年)、塔時計は(社)日本機械学会より第32番目の「機械遺産」に認定されました。演武場は、1878年(明治11年)10月16日に完成しました。

時計台をあとにして、大通り公園に向かうところで、2030年札幌五輪誘致の看板があるのを発見しました。
新幹線が札幌まで開通する予定は2029年です。
五輪誘致には賛否両論があるようですが、地元に来ると五輪誘致による経済活性化を期待する気持ちも頷けるように思いました。
大通り公園にきました。
大通公園は、札幌市の中心部に位置し、大通西1丁目から大通西12丁目までの長さ約1.5Km、面積約7.8ha(ヘクタール)の特殊公園です。
彫刻家佐藤忠良の手になるブロンズ像の「開拓母の像」です。
北の大地にしっかりと根をおろした母の強さがにじみ出ています。
母が子供に手渡しているのは未開の原野を象徴する熊笹(クマザサ)の葉です。
壁泉です。
せせらぎの水音を再現し、カスケードが静かに流れる空間になっています。
長さ33m、高さ1.8mの大きさがあります。
札幌のシンボル的存在であるテレビ塔です。
夜は美しくライトアップされます。
建設は、昭和32年(1957年)。高さは、147.2mあります。
地上約90mの高さにある展望台からは、西に手稲山や大倉山シャンツェ、東には豊平川や石狩平野を一望。天気の良いときは石狩平野や、遠くの日本海まで見渡すことができます。
札幌からのレポートは、まだ続きます。
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