読み終えました。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。



昨日、日本から届いた本、『武術に学ぶ 体軸と姿勢』、午前中に読み終えました。


あくまで自分の感想ですが、自分がインストラクターをさせてもらっているイス軸法と、他の武術とは、決定的な違いがあるな、と言う事です。


それは、意識して、丁度良い所を探すか、探さないか、と言う事です。


イス軸法に出会う前の自分は、その丁度良い状態の時に、全身が協調して、部分的な筋力による力と違う力が顕れる事は知ってました。


また、それが、詰まりがない自然な動きをした時に顕れる事も知ってました。


どう立てば、その状態が顕れやすいのかも知ってました。


押されても強い立ち方になるには、どうすればなるのかも、知ってました。


そのために、どう立ち、どう姿勢を作るか、これも、大体わかってました。


が、


これは、姿勢を作って、それを意識して保つ稽古をして、そして、意識しなくても出来るように練り上げて行く必要があります。


その姿勢も、その時々によって、原理原則は同じでも、微妙に何ミリ、否、もっと小さな単位で狂いが出たりします。つまり、精度に差がありました。


練度がないから、と言われれば、それはそれまでですが、そこに至るには、ある意味、至難の業です。


が、


イス軸法は、探さない。

それを行えば顕れている。


それを行えば、誰にでも、それ=体軸のある状態になるのです。


自分は、それをコペルニクス的転換と言った事があります。


天動説だったのが、地動説になったかのような。


意識して何かを作る、と言うのではなく、そこにあったもの、皆んなそれぞれ一人一人にあるけど、気付いて無かったものが、顕れた、と言う感じです。

それは、意識して探していたものとは、質が違いました。


身体操作をして探すのではなく、もう既にあるもの、感覚に気づく。


イス軸法によって顕れるものが、言わば、ゼロの地点です。


そこに身体操作を乗せて行く事で更なる境地が見えてくると、思います。


読書感想になっているかどうかは、わかりませんが、そう感じました。