勤務時間終了で帰宅。

だんだん薄暗くなってきていたけれど

道がガタガタしているのがわかりました。

はい。段差ができているのです。

チャリを押しながら歩いて行きました。

 

 

 

家に到着して。

ご近所の奥様が愛犬のバッグをかかえておろおろしていました。

「きょうは主人が仕事にでているの…。

ひとりでは心細くて避難所に行こうか、どうしようかと…」

「私は職場にいたので自宅がどうなっているかは…」

「一時停電したけど今はもう大丈夫よ。でも断水してるわ」と教えてもらい。

 

 

 

確かに断水していました。

たまたまお風呂の水が残っていたので、生活用水に。

飲料水は2Lのものが6本くらいあったので2日は大丈夫かな。

水が使えるようになったのは2週間くらい後でした。

無慈悲な計画停電もつらかったですが、断水は本当につらい。

 

 

 

廊下に積み上げていた本やら書類やらが雪崩をおこしていました。

スチール製の本棚が斜めっていて、どうみても修復不可能。(処分しました)

食器や台所用品はほとんど無事でした。

揺れ方や、その方向性によって、被害が違うようです。

立派な食器棚がスローモーションで倒れてしまい、

美しいティーカップなどが全部割れてしまったというお宅もありました。

 

 

 

TVをずっと見ていました。

いったい何が起こっているんだろう。

本当にびっくりしました。

図書館の惨事なんか可愛いものでした…。

何か私にできることが合ったら…。

 

 

 

翌日からは朝9時になると一斉放送で「おはようございます。管理組合の○○です」

毎日ボランティアを要請して、安否確認から、問題点の割り出し、人員の割り当て。

大型マンションには、医療従事者など隠れた人材が大勢いらっしゃいました。

私は安否確認や印刷物のポスティングを。

最初は医療班(軽いけがや病気などの相談)。

そのうち、買い物班(車を出してあげる)やら、

お風呂班(断水が棟ごとに順番に解消されたので)やら、できました。

春休みで大学生たちの応援があったこと、大きな助けでしたね。

 

 

 

明らかに修理が必要な個所は安全のために修理をして、

市道にあたる部分まで、住居人の安全のために、補修をしていました。

暗くなって転んでケガをするという事故は一件もありませんでしたね。

それ以来、何か大きな災害が発生しても、私は、自宅避難、と決めました。

ご近所の自治会とも相談して、いざという時に、

戸建ての皆様の避難所として使えるよう連携をしています。

 

 

 

ご近所の方々と気軽に「こんにちは」と挨拶を交わすようになり、

ご高齢で一人暮らしの方が結構いらっしゃることも知りました。

全世帯に安否確認ステッカーを作り、

何か起こったら、避難の際にはドアに貼ることの周知をして、

年に数回、避難訓練をしています。


 

 

時々。思い出したようにおしゃべりすることがあります。

「私は銀座にいてね。外にいたから、もうデパートとか、ゆっさゆっさ揺れるのよ。

本当に怖かったわ!  それから5時間かけて歩いて家まで帰ったのよ!」

「私は会社にお泊りしたの。でもね、コンビニにも食べ物がなくなるくらい。大変だった!」

 

 

愛称がマダムという優雅な友人に「あなたはどこにいたの?」と聞いたら

「う…ん。私はねぇ。ウィーンにいたの…」  

おい(笑)。

「ツアーの仲間から何か大変なことになってるらしいわよ、電話してみたら、

と教えてもらって、家に電話したの。そしたら断水してるし、そのままツアー続けていいよ、

と予定通りに帰国したのよ。帰ってからが大変だったわ。あはは」