おもてなし礼賛は日本人の思い上がり | clandestina

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未知の世界へ 

「お・も・て・な・し。それは訪れる人を心から慈しみお迎えするという意味です」
東京五輪を招致するプレゼンテーションの場で滝川クリステルさんが口にした「おもてなし」は、瞬く間に日本中で流行語となった。以来、「日本のおもてなしで観光立国を目指せ」という動きが、にわかに盛り上がっている。2014年の訪日外国人は1300万人を超えた。前年比で300万人弱増加し、過去最高を記録。旅行大手のJTBがまとめた2015年の旅行動向見通しでは、今年は1500万人になる見込みだ。日本政府はこの数を2020年に2000万人、2030年に3000万人にまで引き上げる計画を立てており、観光業の発展に期待する声は高まっている。とはいえ、米国やフランスのような世界の観光大国の集客とは、まだ数倍の開きがある。さらにいえば、日本の観光業収入は香港やマカオと比べても3分の1程度の金額でしかない。その額が日本の輸出額全体に占める割合はわずか1.8%であり、これはOECD(経済協力開発機構)に加盟する34カ国中最下位だ。観光立国への道は遠い。「訪日外国人数の目標設定などは、日本の組織が好きな数字合わせでしかない。一体何のために観光客に日本に来てもらうのか。その土地におカネを落としてもらうという原点を見失っていないか」。こうきっぱり指摘するのは、文化財の保存・修理で国内最大手の小西美術工藝社の社長、デービッド・アトキンソンさんだ。英国出身のアトキンソンさんは、米ゴールドマンサックスの銀行アナリストとしてバブル崩壊後の東京で活躍。1990年代半ばに引退した後は、茶道三昧の生活を送っていたが、小西美術の創業家に招かれて経営を引き受けた。
アトキンソンさんからみれば、観光地としての日本のキラーコンテンツは神社仏閣などの文化財だ。だが、その周辺にお金が落ちて、魅力を高めるための再投資ができるような仕組みができていない。たとえば東京から出雲大社を訪ねても、数万円の交通費がかかるばかりで、地元に落ちるおカネはせいぜい数千円単位。これでは交通機関が儲かっているだけということになる。
要因は寺社やその周囲にもありそうだ。小西美術は日光東照宮の修復を長年手掛けているが、東武鉄道の日光駅周辺の店舗などではクレジットカードがほとんど使えないという。数年前にできた観光案内所も外見が立派なだけで、英語の案内も少なく、パンフレットも僅か。「寺社の中にも解説がほとんどない。”来る前に勉強してこい”とでも言いたげだ。これで『おもてなし』などと言えるのか」とアトキンソンさんはあきれる。観光地だけの話ではなく、より日常に近い場での「おもてなし」にも疑問符がつく。 「几帳面で腰が低い日本人の性格は好き。だけど、頭の固さは困ったもの」。
東京外国語大学で教鞭を執るスーダン人の国際政治学者、モハメド・オマル・アブディンさんは「マニュアル化した企業のシステムが、融通を効かなくしている」と指摘する。
12歳で失明したアブディンさんは1998年に20歳で来日。鍼灸を学ぶのが目的だったが、日本語をマスターした彼はそれだけでは飽きたらず東京外大に入学。大学院にも進んで2014年には博士号を取得した。現在は同校の特任助教を務めつつ、東京で3人の子を育てている。
昨年秋、東京都内のとあるJRの駅での出来事だ。アブディンさんが、駅のタクシー乗り場がわからなかったので、駅員に案内と付き添いを頼んだところ、「会社のルールでできない」との返答。押し問答になったが、結局あきらめて帰らざるをえなかった。
「おもてなし」を自慢しても、マニュアルから一歩でも外れると、思考停止に陥ってしまう。お客の都合は二の次で、本来あるべきサービスの姿から離れてしまう。そんな例が少なくないのではないか。「日本では“おもてなし”という言葉が持て囃されているが、幻想ではないですか」とアブディンさんは怒りとも呆れともいえる表情で語る。母国のスーダンでは客人は家の中に招き入れ、手料理を振舞うなど盛大に歓待する。一方で「日本ではお客を家に入れることはあまりないですよね」。まるで日本人のホスピタリティが世界一のように語られている現実に、首をかしげる。ましてビジネスとなれば、「おもてなし」の良し悪しはお客が決めるもの。自慢するものではないだろう。一方で、日本のサービス業の生産性が低いのは過剰サービスのためとの見方もある。何がどこまで求められているかの見極めも必要だ。他国の例も広く見て、自分の立ち位置を再確認する作業が欠かせない。 気になるデータがある。NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに行っている「日本人の意識」調査では、2013年時点で「日本人は他国民と比べて、極めて優れた素質を持っている」と答えた人の割合は67.5%に達した。前回調査と比べて跳ね上がっており、過去のピークである70.6%(1983年)に迫る水準。他国の長所を謙虚に受け入れる日本の強みが失われかけているとすれば心配だ。いま、日本には「おもてなし」礼賛に限らず、自国の美点をほめたたえる書籍、番組があふれている。だが、そこに本当に他国と比較し、数字を踏まえた議論がどこまであるか。日本に長く暮らす外国人の辛口のエールにこそ耳を傾けたい。

FC岐阜は11日、元日本代表MF三都主アレサンドロの契約満了による退団を発表した。同選手は昨季より岐阜でプレー。昨季成績は18試合に出場して2得点だった。岐阜はこれで、昨季在籍した35人のうち17人が退団することになった。三都主は1994年に明徳義塾高にサッカー留学する形で来日。1997年清水に入団し、プロキャリアをスタートさせると、99年にはJリーグMVPを獲するなど、飛躍を遂げた。2001年には日本国籍を取得。2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯では日本代表として出場した。ドイツW杯後にはザルツブルクに移籍し、初の“海外移籍”も果たした。帰国後は浦和、名古屋、栃木、そして岐阜でプレーしていた。クラブを通じ三都主は「FC岐阜サポーターの皆さん、岐阜県民の皆さん、FC岐阜在籍中はたくさんの応援・サポートをありがとうございました。1年間という短い間でしたが、熱い応援の中でプレーでき、とても充実した一年でした。途中ケガをしてしまい、チームに迷惑をかけ、自分自身も悔しい思いをしました。もっとチームに貢献したかったという心残りはありますが、これからもFC岐阜がもっともっと成長していくことに期待しています」とコメント。今後については「明後日、ブラジルに帰ります。21年間遠くで見守ってくれていた両親の近くでサッカーをすることができたらいいなと思っています。新たな生活をスタートさせます。どうか皆さんお元気で…」とした。
サッカーの為の日本国籍それはわかっていました

サッカー人生が終われば日本で暮らしていくのは日本人だとしても難しいことを
サントスも分かっていたのでしょう ロペスもブラジルで日本のサッカーのためにと
大学まで行って資格を取ったところで日本では使えない国に帰るしかなくなった 
おもてなしという訳のわからないことを言うこと自体ある意味うざく感じます 
コンビニでは何回もこんばんわ いらっしゃいませを言われ静かに買い物もできない
21年もいればこの国の人間の裏も見えたことでしょうし この時期に国に帰ることは
日本での良い思い出としてここでアディオスはよい決断だと思いますね
おもてなしなど言葉にしなくても笑顔一つで分かり合えるものだ
自然な笑顔は世界の共通語だとはよく言ったものです 
もともと日本では他人を快く招き入れる習慣などないのでは 今度家に遊びに来てくださいとは口だけのもので ラテン諸国ではしっかりと招待したい人に対して使う言葉ですから全く意味合いの違うものです 

「グローバル vs.非グローバル」が先鋭化
移民、銀行の幹部、イスラム教徒、「リベラルなエリート」など、何となく自分たちとは異質だと思う人への不満や憤りが世界中で増幅しつつある。米国では、オバマ大統領が、長期滞在をして働く不法移民に市民権取得のチャンスを与えたが、政策を非難するティーパーティ一派に後押しされた共和党が、政府機関を閉鎖すると脅している。英国ではUKIP(英国独立党)が、移民の永住許可を5年間凍結せよと主張する。ロシアではロゴージン副首相が、移民労働者(大部分は旧ソビエト連邦内の共和国出身)を一掃する、と約束した。

■移民は「災いの種」?

寛容さで知られるオランダやデンマークでさえ、移民を災いの種だと声高に非難する政党への支持が増えつつある。シンガポールは国民のほぼすべてが移民の子孫だが、極小野党が人々の移民への不満をかき立てて勢いを得ている。
経済状況が厳しくなる中、自分の仕事を守るのは、誰にとっても重大だ。しかし、地方在住でティーパーティを支持する中年白人の米国人が、メキシコからやってきた貧しい移民のせいで生活を脅かされることは、ほとんどない。
移民排斥感情は、右派か左派かという従来からの壁を超え広がっている。ティーパーティやUKIPの支持者と、低賃金の外国人に仕事を奪われると心底恐れている労働者には、共通点がある。それは、移動性が高まり、超国家的な組織が出現し、グローバルにネットワーク化する世界で、自分は置き去りにされるのではないか、という不安だ。
右派の側では、保守政党への支持が、移民や超国家的な組織が好都合なビジネス界と、これらを脅威だと感じる人々とに分裂している。だからこそ英国の保守党は、UKIPを非常に恐れている。
左派の側では、人種差別や不寛容に反対する人たちと、英国生まれの労働者階級の雇用を守り「連帯」を維持しようとする人たちとで、意見が割れている。
民族、宗教、文化的なアイデンティティに、変化が生じつつある。しかしそれは移民が原因というより、グローバル化した資本主義の発展が主因である。
新たなグローバル経済においては、勝ち組と負け組がはっきりしている。高学歴の男女は、多様な国際的状況でうまくコミュニケーションを取ることができ、利益を手にしている。その一方で、必要な教育や経験に恵まれない人たちが苦労しているが、こちらが多数を占める。
新たな階級区分は貧富の違いで決まるのではない。大都市の高学歴エリートと、教育レベルが低く、柔軟性に乏しく、あらゆる点でグローバル化から取り残されている地方在住者との違いにより、階級が隔てられる。そして、疎外感を抱く人たちが、怨嗟を共有している。
米国の国民は、あまり遠くない将来、白人が少数派に転落するとわかっているのだ。現時点でティーパーティらにできるのは、「祖国を取り戻そう!」と叫ぶことくらいだ。もちろんこれは無理な要求だ。人々は多様化する社会に生きることに慣れるしか選択肢はない。

■経済のグローバル化は後戻りできない
経済のグローバル化も後戻りできない。ただ規制は活用すべきだ。文化、教育、雇用を、市場の力による創造的破壊に全面的に委ねることはすべきでない。
英国労働党の影の内閣のマクファデン欧州担当相は、グローバル化が引き起こす諸問題を解決するための核心を正確に指摘している。人々にグローバル化した世界の「恩恵を受ける手段」を与え、「グローバル化した世界が人々に役立つ」ようにする、という処方箋だ。
しかし、この指摘は、教育程度が高くすでに特権を持つ人々の心には響くが、グローバル経済に疎外感を抱いている人々の共感は呼びそうにない。
これは深刻な問題だ。左派政党は、大都市のエリートを代弁する傾向を強めている。地方のポピュリズム派は大衆の憤りをかき立て、伝統的な保守主義者をさらに右側へと押しやっている。
東洋経済オンライン

Japan vs Palestine 4-0

後半の試合ぶりを見ればかなりがっかりしたものでしたね

ヘイトスピーチ


以前はグローバル化もいいんだろうなと思ったりもしていましたが
もちろん移民国家やメキシコのようにメスチソと呼ばれる混血がすすんだ国では
それでも成り立ちますが 移民国でない日本では基本的に無理だと感じています
外国人に凌駕されるか争うかいずれそうなってしまうでしょう
ヘイトスピーチで外国人を攻撃する前に実際は同じ同胞に一番痛い目にあわされている
じゃないでしょうかね 外国人に何かとんでもないことをされたという
日本人はどれだけいますか..単に金のためや欲のために日本に住もうなんて外人にろくなのはいないということだけは言えます 海外で出会った現地在住の日本人達にはそこの国に対しての
深い愛が感じられましたし現地の人たちにも慕われていましたからね..