ハーフ・帰化日本人サッカー選手 | clandestina

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サッカー界ではハーフの選手がこんなにもいたんですね
次世代の日本代表がどうなっていくのか
何人かは将来代表に入りそうな逸材がいます
国籍を選ぶのも20歳までとなっています 中南米には日本人でも二重国籍
の人がまだまだいます 両親の国に愛着があるのは当然 
まあキーン氏も震災後に日本国籍を取得しましたがほとんどの日本人にはどうでもいいことかもしれません CWニコル氏は日本国籍を取得していますが 今の日本だったら日本国籍取得はしないだろうと
地震直後 知り合いが西日本の実家に帰った 話題は震災の話ではなく田植えの話だったとがっかりしていました 3.11もすでに昔の話のようになり 原発事故も今では無事に解決しているような話しぶり
このことから何も学ぶ事はなかったのが日本人なのでは 転換期が来ているのに未だに元に戻ろうと昔の夢を追いかけているのが今の日本人の姿なのかもしれない 怒りもない無関心な国民という感じが他の国と違うと感じています

世界文化賞受賞の建築家 リカルド・レゴレッタ氏死去

メキシコを代表する建築家で、昨年、高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)を受賞したリカルド・レゴレッタ氏が12月30日、メキシコ市で死去した。80歳だった。メキシコ土着の温かな色彩感覚を現代建築に生かす建築様式が高く評価されていた。
1931年、メキシコ市生まれ。国立自治大学で建築を学ぶ。メキシコ五輪が開催された68年に手がけた巨大ホテル「カミノ・レアル・ホテル」が出世作。
ピンクの格子と黄色の壁のエントランス、噴水が調和した独特の作風。壁を大胆な色使いで塗り分ける表現や、大きな窓、中庭といったメキシコの伝統文化や様式を融合させた造形にこだわり、中米や欧州などに100点以上の建築物を手がけた。2000年からは、同じく建築家の三男、ヴィクトル氏とパートナーを組んでいた。
世界文化賞はメキシコ人として初の受賞。昨年10月、授賞式の来日の際には、東日本大震災に心を痛め、賞金の一部を被災地の子供たちのためにと日本ユニセフ協会に寄付した。
ヴィクトル氏とも親交がり、99年の同賞受賞者である建築家、槇文彦さんは「建築の空間構成などは合理的であると同時に、その中の各部分に色彩を取り入れることでアイデンティティーを高めた。独特のあたたかい色使いの建築と同じように、温和でヒューマンな人で、本当に残念です」と話した。
Sankei Digital