千葉御宿とメキシコとの縁 | clandestina

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未知の世界へ 


メキシコ大統領も訪れた千葉の御宿よく海水浴にも行っていました。それも縁でメキシコと言う外国で初のホームスティーを体験する事になりました。初めて関心を持ち暮らしてみた国がメキシコと言う事で今まで縁が続いているのだと思います。ディズニーランドは知り合いも働いており、建設当時から自転車で見学によく行ってたものでした。

千葉県内施設への観光客数(二〇〇九年、県調べ)は、一位が東京ディズニーリゾート(浦安市)の四千二百五十四万人、二位が成田山新勝寺(成田市)の千百四十一万人。以下、東京湾アクアラインの海ほたる(木更津市)、幕張メッセ(千葉市)、香取神宮(香取市)などと続くが、上位十位に中房総地域の施設はない。
中房総へは交通アクセスの悪さがネックだったが、二〇一二年度の圏央道開通で東京湾アクアラインと直結する。市原南インター(仮称)では、市原市から大多喜町を経て勝浦市までを貫く国道297号と交差し、外房地域への利便性は飛躍的に高まる。

観光地といえば、東京ディズニーリゾートや成田山新勝寺、幕張新都心、南房総の豊かな自然などを思い浮かべる人が多いはず。県内には外房、内房、南房総、北総、上総(かずさ)、下総(しもうさ)といったエリアの呼び名があるが、そのどれにも当てはまらず、観光地としてもあまり知られていない地域がある。「中房総」。二〇一二年度の圏央道(木更津東-東金、四十三キロ)開通を機に、この呼び名を広めようと、さまざまな取り組みが始まっている。では、どんな地域なのか。意外な発見や面白さを紹介したい。

中房総には何があるのか。歴史と意外な発見を求めて歩いてみると…。

御宿町岩和田の岩場には、真下に五メートルほど伸びるロープがある。このロープで降りると、ドン・ロドリゴ上陸の地と呼ばれる小さな砂浜に着く。海から強い波が押し寄せ、三方は絶壁に囲まれている。
徳川家康が江戸幕府を開いた六年後の一六〇九年、スペイン領フィリピンの総督ロドリゴやメキシコ人ら三百七十三人を乗せた船が、嵐によって御宿沖で座礁した。凍えながら漂着する船員三百十七人を海女たちが体温で温めるなど、地元民は総出で助けた。
当時は鎖国前。救助されたロドリゴらは大多喜城(大多喜町)に招かれ、歓待を受けた。その後、江戸城へ。駿府城(静岡市)では家康とも会った。家康が与えた船でロドリゴはメキシコに戻り、日本の見聞録を執筆。「村人たちはコメ、野菜、魚などを惜しみなく与えてくれた」と好印象を記した。
一九七八年に来日したメキシコ大統領は両町を訪問して感謝の意を伝えた。大多喜城に向かう遊歩道はメキシコ通りと呼ばれ、古代メキシコの魚や鳥をかたどったタイルが埋め込まれた。
二〇〇九年には、御宿町でメキシコとの交流四百周年の記念イベントが開かれた。歴史に詳しい同町の土屋武弥さん(67)は「自然(嵐)がなした偶然の交流」が四百年後も続いていることを喜ぶ。東京新聞