吐露 | ラヴログ

吐露

経済学を批判するための議論をする人たちが居ます。

ですが、ほとんどが経済学のテキストでも語られるようなことで反論します。
曰く、

GDPで本当の幸福は測れない。
市場の完全競争はない。
人は合理的ではない。

よく好きなものを否定されると、知らないのに批判しないで欲しいという意見がありますが、それと同じでせめて経済学のテキストくらいは読んでから批判して欲しいなと感じます。

経済学は予想、予測ができない
モデルは完全ではない

など経済学を何となく否定した気分になっている人も居ます。
また、どこかで経済学批判の記事を読みその気になって、そのまま引用したり。

しかし、経済学を知らないで、どうしてその内容を判断するのでしょうか?(自分も知ってるとはとても言い切れません)
ただ、自分の気持ちを代弁するか、わかりやすい内容に過ぎないだけかも知れません。

また、経済学を学んだとか、詳しいほうだとか自分で前置きする人にも疑問があります。(他の議論でも居ますよね?)
これってなんてことはない、単なる威嚇です。自分は詳しいんだとか、正しいんだということを無意味に主張しているだけで。

そんなことは言わなくても、書いてある内容で理解できることではないのですか?

そもそも何となく否定したところで、それは自分の嫌悪の感情を吐露しただけで、何かを得たりするような議論になりません。
批判した当人は、意味のある批判と思っているかもしれませんが、相手をするのも時間の無駄です。

こういう人は、「負けない議論(と自分は呼んでいます。)」をしたいのでしょう。もしくは捨て台詞や、野次を飛ばしたいだけかもしれません。
何を言っても、更に言葉を重ねるだけで、相手の発言を認めず、前提の間違いや事実の否定も受け入れず、ただ自分の主張を繰り返し、最後は感情論で周囲の同情を惹きつけようとする。
そのくせ、他人には自分のことは棚に上げ偉そうに説教。

自分もそうならないようにしたいです。

でも、時々間違いを認めたくなくてごまかすこともあります・・・。

まだまだ・・・ですね。