こんにちは!
いよいよ今年も大詰め。
佐藤は年内最後のブログになるかと思います。
みなさまは2016年、どんな一年でしたか![]()
![]()
きっと、
辛いことや悲しいこと、憤ることもあればじわじわと感じる幸せやうれしいサプライズもあったり…![]()
傍にいてくれる人、そして遠くから見守っていてくれる人によって支えられ、濃く深い1年をお過ごしではないでしょうか???
大切な人と1年を振り返るために過ごす場所はやっぱりバーが1番です![]()
![]()
![]()
![]()
早速ジンのお話第二弾参りましょう!
第一弾をまだご覧になっていない方はこちらです
⇒http://ameblo.jp/labo0715/entry-12220374391.html!!
「ジン時代」の到来、はじまりはじまり・・・
18世紀にもなると、ジンは大流行…というと言葉は良いけれど、決してそんな良いことばかりではなかったのです・・・![]()
ウイリアム公の死後、即位したアン女王もロンドン周辺で生産される蒸留酒の専売を廃止したりして、
誰でも蒸留酒が作れるようにするなどジンの普及に努めました![]()
二人ともジンが大好きだったのですね。![]()
![]()
ジンは簡単な設備で製造可能だったため、八百屋や雑貨屋などでもジンが販売されるようになりました。
様々な店でジンを売るようになったことから、ジンの値下げ合戦が始まります。![]()
![]()
当時の居酒屋には、
「ほろ酔いなら1ペニー、泥酔なら2ペンス」といった看板が堂々と掲げられました。
(※1ペニーは1.33円ほどです。そうすると、僅か1円でジンが飲めたことになります。)
こうした 「ジン酒場」 はロンドン全域にあっという間に広まり、なんと6千軒以上になったといいます![]()
![]()
労働者にとって、ビールやワインは関税が引き上げられたことで高価な飲み物となり、手が出せなくなっていました。![]()
けれどジンなら、働いて1ペニー分稼ぐか、他人から恵んでもらえれば、誰でも手が届きました。
このことからジンの生産高・消費量はあっというまに増え、本家オランダを凌ぐようになるのです![]()
ロンドンだけでも、ジンの平均消費量は一人あたり(子供も含めて)、一週間で2パイント (約1リットル)。一年間で14ガロン (約63リットル)。
もっと分かりやすくすると、ジントニックを一週間に25杯程度。一日4杯くらい飲んでいたという計算になります
!!
ロンドン市民みんな「酔っ払い
」状態![]()
そしていつしかジンは「酔っぱらうためのお酒」として扱われるようになります。
アルコール中毒患者や泥酔者の激増が社会問題になり、ジンの飲み過ぎて死んでしまう人も出てきてしまうように、、、
労働賃金の支払いの代わりにジンを出されたという話も残っているようです。![]()
当時のイギリスは救貧法の改正がなされていた時期でした。救貧法とは、現在の日本の生活保護を作る際影響を受けたとされる法律です。![]()
![]()
※パンの価格をもとに基本生活費を算出し、この基本生活費に収入が届かない家庭には、その差額分を補填するというものです。
博愛精神から生まれたものですが、反作用として、企業家たちが労働者の給与を切り下げだしたのです。![]()
だって、差額を救貧費で埋めてくれるのですから・・・・・。
労働賃金は下がる一方、ストレスもたまるでしょう。
その負の螺旋による疲れを癒してくれるジンが当時どれだけの人の心を癒したか。。。![]()
![]()
そして溺れさせてしまったのか、当時の状況を知れば知るほど悲しい気持ちになります。
「労働者が飲む、いわゆる安いお酒」だったとありましたが、この頃の世相が大きく関係しています。
あぁ、世知辛いロンドン市内。癒してくれるのはジンだけ・・・。
・・・・・。
さぁ!!!!!!
ジンの歴史に光は指すのか!?!?
いったいいつになったら明るい話題をお届けできるのか!?!!
実はまだちょっと先です。
ずいぶんと長く暗黒時代が続きます。
次回予告・・・・。
ジンが欲しくて子供を見殺しにする!?
中毒者続出で遂に政府が手を打つ!!
を、年明けまたお送りいたします。。。。![]()
さぁ。みなさま。
今宵もおまちしております♡
佐藤由紀乃
