こんにちは研究員のぴんです。
曇りの名古屋。半袖だと外は少し肌寒いかもです。
さてさて、今日のお題は「理想の最後」(死に方)としたのは、なんだか理想の死に方だと物騒な気がしまして。
コロナ禍、幸せについてラジオやネットで気になる記事など2つありまして、発見の日々ですね。
一つ目は、今週はNHKラジオを聞いてましたら(武内陶子の午後ラジで)、どなたかが、
「健康を気遣うように、幸せを気遣う」(正確ではないかもですが)とおっしゃっており、なるほどと思ったのです。
私たちは健康について、理想をもって取り組んだり、またはできる範囲で健康に努めたりしますよね。幸せについても、健康の一セクションとして取り組めたらと。
体重管理
体質管理(胃、腸、骨)
歯の健康
筋肉の維持
目の健康
心の健康
などなどに。
幸せについて加えるのです。
考えると心の健康=幸せとも言えそうです。
二つ目はネット記事で、死に際についての話です。
自分がどう死にたいかで生き方がわかるという話です。どこで読んだか忘れてしまいましたが、個人的にはインパクト大でした。
最近、終活や断捨離、シンプルライフと言うと、何を買っても、いずれゴミか。と思ってしまう自分がいます。洋服なら流行やサイズがあるけれど、指輪や時計やネックレスは腐らないしどうなるだろう?と。
終活が流行る理由はよくわかります。実際我が家でも、祖父、祖母、父が大量にどうでもいいものを残してきましたから。
ですから、物を買ったら充分楽しんで使うようになりました。気に入った物を買い、使い倒す。
今現在のぴんの考えは終活はなんだかむなしい。
少し脱線しましたが、自分はどの様な最後を送りたいか。
子供、孫や夫がいれば、肉親に見送られてというのもあるでしょう。
しかし、昨日の新聞に衝撃記事が、
家族が同居してるのに孤独死?!が増えてるとのこと。親子二世帯住宅でも実際、生活は別という家族が増えてるそうです。
またまた脱線してすみません。
ぴん自身について、理想の死に方を考えてみました。
それは、いつまでも、ほどよく社会参加し、誰それに「またねー」とか言って明日も続くかのように別れて、明日死んでた状態ですかね(⌒-⌒; )
昔よく考えたのが、寿命があと1日だと知った時。
ぴんは、「いつもどおりの1日を終える」でした。
まあ、これらの考えは明日も当たり前に続くと思ってるから出てくる答えかもですが。
したがって理想の最後を迎えるためには、
最後まで人生エンジョイするため健康に気遣う。
貯金を頑張る。
生きがいを持つ。
趣味を楽しむ。
いつまでも友達づくり、仲間づくり。
ですかね。
でも、やはり自分のガラクタを人に片付けてもらうわけにはいかないから、なるべく荷物はコンパクトにしなくては。
やっぱり断捨離は必要かな(^◇^;)
あなたはどの様な最後を迎えたいですか?
あまり向き合いたくないお題でしたが、人生逆算すると、何か必要か少しわかる気がします。
ただ人生には
「まさか∑(゚Д゚)」
もありますから。
なんで街路樹の下にあるアジサイの方が我が家のアジサイよか綺麗。
土でしょうか?
