こんにちは。

 

 

昨日の記事は反響があり多くのコメントありがとうございます。ニコニコ

 

 

母が背中と腰を骨折し入院したのが1月半ば。

腎臓も肺も悪いです。

 

父は90才でほとんど歩けません。

そんな父を心配する母から「帰って来てほしい」と連絡がありました。

私はそれで1ヶ月実家へ帰省しました。

父は脳梗塞と脳出血を2016年に発症し

その時体の半分が麻痺しましたがリハビリで上半身は動けるようになり

それ以来足だけが不自由です。

 

その時の記事です。

両親は今は支え合っていますが昔は過去記事に書いた通りです。

 

私達子供にとって親の仲の悪さは幼い頃からの日常、

見て見ぬふりをしてきました。

喧嘩ばかり。

 

一度だけ、これは母から聞いたのですが

母が殴られた時、何度も続いて殴られそうになり

当時高校生だった弟が「もうええやんお父さん(やめて)」と

体を張って母を守ったそうです。

 

それまで誰も守ってくれる人がいなかった母にとって頼もしかったのでしょう。

長男ということもありますが弟はずっとずっと特別です

「ケイは本当に優しい」といつも言いますし、それは私達もわかっています。

 

 

弟はこんなエピソードもありました。

 

弟は私の子分のような存在。

小さな時から2人で遊び

私の後ろをずっとついてきていました。

 

 

私にとっても可愛い弟です

そんな弟の覚悟を聞き(昨日の記事)

初めて頼ってみようと思いました。

 

 

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実家を出発しました。

座ったとたんにウツラウツラしてしまいました。初めてです。

いつもは落ち込むというか辛いというか、どんよりして乗っていたのに。

 

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品川でLAの親友ちゃんと1〜2時間会い

 

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乗り込みます。

 

今回、弟がいたのもあり

両親との別れは寂しくなく泣くこともありませんでした。

父は私と最後のディナーの時

「今日はおまえと、明日はケイと乾杯やな」と話し

「お父さんも忙しいね」と笑って終われた。

 

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私は1人で背負いこまなくてもいい

姉と弟の存在に本当に恵まれていると思います。

 

父が今回よく繰り返した言葉は

「お前らきょうだいは本当に仲がエエからそれが1番嬉しい」と。

 

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そんな嬉しい言葉を思い出しながら日本を飛び立ちました。

 

いつも別れが辛い。そんな日本へ行きたくない。

そう思っていました。

 

『帰ってあげたいし

助けてあげたいし

そばにいてあげたいけど

 

行きたくない。

 

何故なら私は必ずその後LAに戻る。

その時が辛すぎる。

弱っている両親を見捨てていくような気持ちになる。

人生楽しめない。

こんな姿を見たあと私はLAに帰って

どうやって楽しんでいけるだろうか』

→行く前に書いた記事

 

 

今回の一時帰国は1ヶ月。

姉にも弟にもとても感謝されました。

でも、私がLAに戻れるのは

そんな姉と弟がずっと日本で親を支えてくれているからです。

 

私は期間限定。その時だけ24時間対応。

戻ったらそれきり。

 

きょうだいの有り難さ

姉と弟の存在

そしてそんな私を感謝して見送ってくれる彼らの大きさと優しさ。

 

親と離れる辛さよりも

姉と弟の存在を大きく感じた今回の帰国でした。

 

実家に帰って本当によかったです!

そしてそんな私を支えてくれている夫とラッキーと梅ちゃん

いつもありがとう。

 

本日も読んでいただいてありがとうございます!

 

 

 

 

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