ようやく、涼しくなり
秋を感じることが出来るようになりました。

今年の暑さは
本当に、過酷過ぎました。

猛烈な残暑の中、スマホの壁紙をこれに変えまして、
たまに生徒さんが微反応しています。



癒されます…

気温35度を超えたら、本来、私はこうなります(何も出来ない)







さて、今回は
やや大きい生徒さん(小学校5年生から中1くらいまで)のレッスンの様子です。じっくり、問題解決の巻。


Aちゃん

問題は、左手のミスタッチ。
いわゆる、ズン・チャッ・チャッ…のワルツの伴奏形
大きく跳躍する1拍目の音を外しまくる。

聞けば、片手での練習を、ほとんどしていない。
ゆっくりで弾くことも、あまりしていない。

それをまずやっていただかないことには!左手の音楽が全く頭に入っていない状態で両手奏なんて無理。これには本人も、「分かっちゃいるけど」という顔です。
ゆっくり弾いて、1拍目のバスの音のラインがこんなメロディになっているということを確認。

そして、指導したのは
1拍目の音を弾く前の、一瞬の準備。
拍を感じて、でも、拍にぴったりとは合わせない感覚。
弾く鍵盤の上に、ほんの、ほんの一瞬、指を用意してから弾くようにする、ということ。

そのためには
前の音(3拍目)を保ち過ぎない、重たくしないこと。
そうしないと、次の1拍目の準備を速く出来ない。
3拍目を弾いた瞬間に、指は1拍目の音の鍵盤の上に移動して、すでに用意していなければならない。

1拍目の音が上手くはまらない生徒さん、同じように、前の小節の最後の音を長く保ち過ぎていることが多いのです。音の長さは、いつも正確というわけではなく、正確な音価を踏まえて、臨機応変に変えてもいいのです。

Aちゃん、「うんうん」と納得したように?うなづきながら弾いてくれました。願わくば次にも生かして欲しい。


後は、右手の16部音符の細かいパッセージがもたついていたので、「同じ手の位置で、ひとまとまりで弾ける部分に分けて弾くつもりで弾いてみて」と言ったら、すぐ解決しました。こういう時は、私も気持ちがいいです。





Bちゃん

問題は
左手の複雑な和音(しかも4和音5和音の入った)の連続。
すぐに音をつかめず、なかなか流れない。
そのため、多少、焦りや苛立ちが見られます。

そんな時は
「難しいよね、何度弾いても迷うよね、でも何度も弾くより、弾きやすくなる方法があるから大丈夫」と、
まずは、安心させてあげないといけません。

そして、心を落ち着けて
ゆっくり、曲に向かいます。


ただ、次々とやみくもに音を読んでいないか
同じ和音、似た和音が他に出て来るところはないか
縦ばかりではなく、横の流れを見てみたらどうか
次の和音との共通音はないか
和音の音の中に、右の主旋律に対応するようなメロディのラインになっているところはないか

全部違う和音がたくさんあるように見えるけど
使われているのは実は数種類、それを高さを変えたり並べ方を変えたり、音を省略するなどして出て来る
そして、その和音の進み方には決まりがある

そんなふうに、一緒に細かく、丁寧に見て行ったら
少し頭がすっきりして、気持ちも楽になったのか、
「そうかぁ、これなら出来そうです」…

この生徒さん
次の週には、前の週に比べたらずっと流れるようになっていたので、安心しました。





Cちゃん

とてもよく指の回る生徒さんですが
レガートが苦手です。
そして、パタパタと鍵盤を叩いて?弾いてしまいます。
いわゆる「上部雑音」が発生し、滑らかに綺麗に弾けていません(Cちゃんがそれに気付いているかは不明)。


脱力については、もう随分前からずっと、私なりに色々工夫して伝えようとしているけれど、難しいです。
鍵盤に触れてから重さをかければ、上部雑音は発生せず、音は滑らかで綺麗になりますが、どうも、「レガート」という概念が、この生徒さんには薄いように感じます。

ピアノはもちろん、弦を打って音を出すのだけど、鍵盤を指を上げて叩くのではなく、鍵盤の中で打つというか…この時も、鍵盤を触ってから重さをかける様子を実演?して見せたら、その場では出来るようになるのですが、どうしても、また戻ってしまうのですよね。

本人が、「私の音は、弾き方は、これではダメだ、直さねば!」と一念発起すれば、能力のある子なので、スルッと上手く行きそうだけど。かくいう私も偉そうなことは言えませんが、ある時、理想と程遠い自分の録音を聴いて奮起し、それから本当に真剣に取り組んだので。

この生徒さんのレッスンついては、自分の課題として
また更に、勉強を重ねたいと思います。





こんなふうに
みんな、それぞれに頑張っている
これで、精一杯なのかもしれない
レッスンをしながら、そう自分に言い聞かせているけど

いつまでたっても指摘した間違いが直らない
必ず直すように言っても、毎回同じことを注意され
何週間経っても改善されない…という人が、
残念ながら、多いのです。
よく弾ける生徒さんでも、そうです。


あんなにしっかり言ったのに
思い出さないのだろうか
すっかり忘れてしまっているのだろうか

赤いマルで印がつけてあるのに
これを見ないのだろうか 
目に入っていない(楽譜をよく見ていない)のだろうか

何も考えずに弾いているのだろうか
何か他ごとを考えながら弾いているのだろうか

明らかに変な音が鳴っているのに、明らかにリズムが崩れておかしいのに、スラーが切れて美しくないのに
なぜ直さないのか
直したくならないのか
弾いていて、気持ち悪くはないのか

それとも、そもそも変だとかおかしいとか、美しくないということにも気が付かないのだろうか
或いは、分かってはいても、正しく弾けるように練習するのが面倒で、ただサボっているだけなのか


色々な「?」が、私の頭の中を駆け巡ります。
技術的なこととかならまだしも、
少なくとも、音の間違いを次のレッスンまでに直さないなんてこと、あり得ないと思うんだけど…





それが数週間も続く場合は、諦めて
レッスン内でもう一度弾かせてみて、間違えずに弾けたらよしとして、仕方なく次に進みますが
この繰り返し、さすがにストレスが溜まります。
結局、こちらの根負け?だからです。

本来なら、正しく弾けるまで合格にせず
その曲を継続してやらせるべきでしょう。だって、
その曲をきちんと弾いたことにはなっていないから。

クリアするべきことを十分にせず
次の段階に形だけ上がってばかりいたら、その行く末は…もちろん、誰にだって分かりますよね。
でも、それを待っていたら、ずっと同じ状態でいつまで経っても先に進まず、レッスンが成立しません。


発表会やコンクールの練習の場合でさえ
同じです。 

エネルギーを使い果たしてボロボロになりながら?
決して怒ったり感情的にならないよう、生徒さんの状況や気持ちも思いやりながら、必死にお尻を叩き続けて、何とかかんとか進み

さすがに直前になると本人も緊張感が出始め?、ようやく正しく弾けるようになって、本番で上手く弾けたり、賞をもらったとしても、その人は、その曲を練習している数ヶ月もの長い間、「間違った形」のままで弾いているわけです。

結果は良くて、本人は喜んでいるかもしれないけど
その曲をその曲として?、かろうじてきちんと弾いたのは、最後の、ほんの僅かの期間だけ…


それでは、その曲に対して、作曲家に対して
そして音楽というものに対して
何だか、非常に失礼なような気がするし
果たして、その音楽の魅力や素晴らしさを、真に味わいながら弾いたと言えるのでしょうか。
結局は、「結果さえ良ければそれでいい」のではないでしょうか。

そんな結果など、本物ではないですよね。
結果が出ず、普段の姿勢を改めなければという反省に繋がるのなら、その方がずっといいかもしれません。


素晴らしい音楽は
神様が、作曲家を通して人間に下さったプレゼントだと思うし、私にとって何より大切にしたいものなのに

それを、ないがしろにされてしまう度に
心がズキンズキンと痛みます…





最低限、するべきことをしなければ、
何かを「習う」意味はなく、それはただのお遊びです。
たとえ楽しくても、中身は無い。

お月謝をいただいている以上
そのお遊びの中にも、何か音楽のエッセンスを…と、
いつも努力しているつもりです。でも、
ピアノ教室である以上
音楽の「楽しさ」ばかりを教えることは出来ません。

時間をかけ、我慢して、苦労して、 
嫌でも、大変でも、こうした「やるべきこと」は、
何が何でもやらなければならないのです。


何でも楽に、手軽にささっと
それなりの楽しみや満足感が得られるようになっているこの世の中において
こんなピアノのレッスンなど、理解されないのは当然。

ですが、だからこそ
そんなピアノのレッスンが大事なのではと思います。