チンカス「今月から生活費は払えません。」
↑3月の終わりにこんなLINEが届いた。
子どものこと、家のこと
仕事復帰できていない私のこと
いろいろな思い出とかも含めて
今まで築き上げてきた何もかもを
さっさと捨てて自由になりたい
という内容のLINEが次々に送られてきた。
とはいえ家のローンは渋々支払ってくれた。
社会的制裁を受けたくないという理由と
今住んでいる私たち3人を追い出して
新しい女と暮らす新たな生活を夢見ていた。
私にゆっくり休んでいる時間はもうなかった。
早々に働き出さねば。
側弯症の手術された経験のある方は分かるだろうが、いきなり仕事復帰して術前同様バリバリ働くのは不可能だ。
でもやらなければならない。
子どもと私の生活のためだ。
チンカスの稼ぎをあてにしてはいけない。
ガツガツ働いて
家族を幸せにせねばならぬ
私の意思は強くて硬い。
そして4月になった。
花粉症には辛い時期だった。
Y先生との約束通り、5月のG.W明けから職場復帰する段取りをとった。
私の身体は大丈夫だろうか、、と心配するのではなく、大丈夫なように自己管理していくしかない。
職場の人らに説明をして上手くやっていくしかない。
無理をしないように。
あらゆる面で上手く立ち回るのは得意な方だ。
4月前半からハンドメイドアクセサリーの製作を再開した。
この頃から椅子に3、4時間座っていても平気になっていた。
けど疲れやすいし、横になって休憩する時間は必要だった。
ぼんやりと天井の眺めていると心が落ち着くのだ。
骨がギシギシと痛んでいる。
私の骨と金属が完全にくっつくのはいつ頃なのだろう。
きっと忘れた頃にくっつくのだろう。
いつだって無意識のうちに物事は進んでいるのだから。
背中の傷も時間が経つにつれて薄くなっているし、足の痺れもなくなっていた。
けど背中の感覚は傷跡を中心に鈍いままだった。
特に金属ロッド&ボルトが入っている部分は
触ってもよく分からない。
まるで麻酔でも効いているかのように感じる。
初めは不安に思ったが、よく考えてみれば背中の感覚が多少鈍くても日常生活で困ることはほぼない。
これから少しずつ良くなるはず!
と期待を自身の背中にのせた。
そしてG.Wに突入した。
桜は少ししか咲いていなかった。
父が長距離運転を頑張ってくれたおかげで、長野へ旅行に行くことができた。
一日中せわしなく動き回っても平気だった。
(コルセットはきちんと着用)
もちろん子ども2人連れているから疲れたけど、子どもを抱っこしながら観光しすることができたし、いい気分転換になった。
5月にチンカスとの離婚調停を申し立てることにしたのだ。
私の鋼の精神も、ビリビリ ビンビンと緊張と不安が入り混じった状態だった。
そういったのを父が感じ取り、長野まで連れ出してくれたのかもしれない。
とても感謝した。
もう睡眠導入剤がなくても眠ることができるようになっていた。
食欲もあり、人並み以上の性欲もあった。
ゆったりとG.Wを過ごすことができた。
明日から仕事だ。
嵐の前の静けさだった。
静かだけどソワソワする。
ブルブルと武者震いしていた。
余談
職場の後輩に借りができてしまい
どんなお返しがいいか聞いてみたら
TENGA買って下さい!って。
こんな時に男はいいなー!楽しそう!
って思ったりする。
気持ちいいかどうかは人それぞれだと思うけど、出してスッキリできるのなら
私だって何か出したい!w