原田マハ著『リボルバー』読みました
あらすじ
誰が引き金を引いたのか?
「ゴッホの死」。アート史上最大の謎に迫る、著者渾身の傑作ミステリ。
パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠冴(たかとおさえ)は、小さなオークション会社CDC(キャビネ・ド・キュリオジテ)に勤務している高遠冴(たかとおさえ)の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。
「ファン・ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? 」
「――殺されたんじゃないのか? ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて。」
ゴッホとゴーギャン。
生前顧みられることのなかった孤高の画家たちの、もうひとつの物語。
感想(ミステリーなのでネタバレなしの感想です)
ゴッホとゴーギャン、全く相反する性格と思考を持った双子のようだと思います。決して交わり共に生きてゆけないけれど、その存在無視することは出来ない。嫉妬?尊敬?脅威?好敵手?そんな二人の肉薄した関係性をかみしめながら読みました。
なにが幸せなのか?相手は自分より不幸か?そうであってほしいと望んでいるのか?自分は相手より幸せだ。そう思いたいのか?ゴッホとゴーギャンの関係性に人間の誰もが持つ心の深い部分を感じました。
どれがフィクションで、どれがノンフィクションか分からないです。けれど、もしかしたらそうかも?いやそんなはずはない。納得したり、驚いたり、そして否定したり…、自分の感情も物語の展開にあわせて大きく動きました。
2019年に見た鮮やかな黄色が印象的な映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」(ジュリアン・シュナーベル監督作)では、ゴッホの死は、少年たちの銃で撃たれ亡くなったとする「他殺」という視点で表現されていました。ますますミステリーなゴッホの死。もしかしたら、これも「あり」か。いや、そんなことはない。これが私の感想です(笑)。機会があればぜひお読みください。
ゴッホとゴーギャンが共に暮らしたアルルの街、そしてゴッホ終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズ。随分昔に訪れました。その頃よりは、ゴッホへの情報が増えました。いつかもう一度、あの場所へ行こうと思います。ゴッホを感じてみようと思います。