6月中旬、なんとRのキックオフ(3ヶ月に1回の社員総会)に呼ばれた。
招待して頂いた、と言っていいのか、普通に社員のように。
びっくらこいた。
4月下旬から有給消化期間に入り(そんなに頻繁に休まなかったけど)、
おおよその引継ぎを終えて、いよいよ会社設立に向けて時間のほとんどを使っていた。
Rとの仕事上の絡みはほとんどなかったし、彼らからしてみれば、呼ぶ必要がない面々だと思う。
でも、横浜まで交通費まで出して頂いて。
みんなも、おいら達がその場に居るのがまだ普通な感じだった。
飛行機とバスで行った横浜はあいにくの雨で、なかなかテンションも上がりにくかったが、
会場に入ると3ヶ月しか経ってないのに懐かしさを感じる人たちもいて、
人数が沢山いる会社もいいなぁと思った。
キックオフは、まじめモードと遊びモードの部に分かれていて、
おいら達は、Rを卒業する最後のQ(四半期)の業績がそこそこ良かったので、
表彰をされるという、まじめモードのその部のために横浜に行ったのだった。
なにやら、いつもはモー娘とかあややとかを撮影しているという、
腕の良いカメラマンの方に、記念撮影までして頂けることになった。
でも正直言うと写真とってもらうよりは、あややに会いたかった。
まじめモードのその場を終え、場所を移して遊びモードのキックオフが進行された。
みんな、次のQに向かって1年で最大の商戦を乗り切るぞー!というテンションで、
マネジャー達の体を張った芸や歌などが披露されていた。
さすがに、その場には居場所を感じることが出来ず、ビーサン
の鼻の具合も良くないので、
失礼して早々にホテルへ戻ることにした。
ビーサンは、以前書いた通りだが、このときまでは極度の鼻炎(鼻の穴がいっつも詰まってる)で、
口でハーハー息をしてうるさいので、会社設立までに絶対直せと強制的に手術をさせた
。
すると、手術後2週間ぐらい酒は一滴も飲めず、1日に何回か鼻血を垂らすようになっていて、
余計にうっとおしいことになっていた。
ま、おかげで居場所がないキックオフを大きな失礼もなく後にすることが出来たのだが。
で、まっすぐホテルに帰ったのかというと、、、
寿司を食べた。
ホテルの近くを歩いていたヒトに「この辺りで一番旨い、そして安い寿司屋さんを教えて」
と、初めて話す方に途方もない無茶を言って教えてもらった店で。
その寿司屋さんは、明らかに、安いだけの店だった。
ビーサンの鼻の調子は本当に良くなかったので、その日は早めに寝ることにして、
次の日は、Rのみんなはお勉強会だったし、東京に移動することにした。
そこで、先にH田さんに紹介してもらったベンチャー企業
の創業メンバーを軽く打合せ、
夜は共に頑張ろう!と始まってもいない会社の祝杯をあげた。
Rのマネジャー会議ではいつも銀座8丁目周辺の居酒屋さんで飲み食いしていたが、
この時の飲み会はすごく清清しく、飲んでも飲んでも酔わなかった。
岡本
も飲み足りなかったらしく、もう1軒行きましょうと言うので、
ずっと前に愛媛のT田さんの大切なお客さんに連れて行ってもらった店に行った。
記憶では、めっちゃ雰囲気が良いけど、なんとか自腹で払えるお店だったはず。
そこで焼酎ボトル1本を、酒が飲めないビーサン抜きで空けてホテルに帰った。
ホテルに帰ると、元メンバーのナベからメールが入っていて、
「さっきまで友達とワイン飲んでたけど、友達帰ったから家に来て飲みませんか」
という、酒豪のナベらしいお誘いのメールだった。
夜中12時、タクシーを呼んで、3人でナベの家にツマミを買ってお邪魔した。
既に空のワインボトルが3本転がっていて、ほろ酔いのナベがいた。
家にはワインクーラーがあって、どれでも飲んでいいですよ~と。
じゃぁせっかくだから飲むか、ということになってそこからワインを2本飲んだ。
飲み始めてちょっとして、岡本は初めて訪問したナベの家のトイレに篭りっきりだった。
どうやら、食べたものも飲んだものも全部リバースしたようだ。
翌朝、ボチボチ早い飛行機で帰った。
3人とも強烈に気分が悪かったが、朝から気合で天ぷらそばを食べた。
初めて国内線で吐きそうになった。
1日、最悪な土曜日になった。
無駄な気合など入れるもんじゃない。
週が空けて、Rを卒業する時の上司N田さんが
「退職面談をしたいからR中国支社に来るように」
と、電話をして来られた。
先週、横浜で会ったばかりだからもういいじゃん、と思ったが、
広島に来られたついでかな?と思って、伺うことにした。
なんだろ、思い残すことがあれば何か言えってことかな。。。
つづく。。。