山科の山岳寺院を訪ねて(前編 京滋府県境の音羽山~牛尾観音法厳寺) | 知は力!痴は活力?

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 先月のことですが、山科区の音羽山腹にある牛尾観音法厳寺へ、山歩きを兼ねて行ってきました。
 京都の山岳・山間部の社寺といえば、鞍馬寺や延暦寺、上醍醐(醍醐寺)また先月に山歩きレポでも紹介した愛宕神社といったあたりが有名どころでしょうか。

 今回はまず音羽山に登り、その後牛尾観音さんを訪れるというコースにしました。

音羽山(標高593m)は京都市山科区と滋賀県大津市の府県境に位置しています。登山口は京阪京津線の追分駅から音羽川沿いを行くか、同じく京阪京津線大谷駅から東海自然歩道を経由するルートが一般的ですが、今回は地元の大津市側から登ります。



 JR石山駅から京阪バスで、終点の国分団地まで行き、そこから音羽山の稜線を目指して歩きます。
 バスの終点からものの15分歩くと、溜池をバックに新緑の音羽山系の眺望が広がります。


 登山道は『東海自然歩道』になっていて、良く整備されていて歩きやすいです。
 途中にトイレのある路傍休憩所もありました。



 気持ちのよい杉林の中を進み、谷を詰めていきます。
 


 歩きはじめてからから1時間少しほどで、音羽山の稜線鞍部に到達しました。眼下には琵琶湖と近江平野の眺望がひろがります。(琵琶湖の南端あたりが見えています。画面右方向が、琵琶湖から唯一流れ出す瀬田川:下流では宇治川と名を変えて、さらに淀川となって大阪湾に注いでいます。)

 稜線のアップダウンを少し繰り返して15分ほどいくと、標高593mの音羽山頂に到着します。



 山頂からは、琵琶湖の西岸に沿って比叡山~比良連峰の眺望が開けています。
 音羽山の目印で知られる電波塔(マイクロウエーブ鉄塔)は頂上から北の尾根筋に建っているのがわかりますね。




 頂上から西側には、山科盆地から東山連峰越しに、京都市内の眺めが抜群です。
 右側奥には、先日登って参拝した愛宕さんがはっきりと姿を見せています。
 山科盆地を横切って(画面手前中央から奥へ)、東海道新幹線と国道1号(五条通り)が走っています。
 走行する新幹線がかなり小さく写っていますが、この音羽山の直下をに新幹線はトンネルで貫いて走っています。ちなみに在来線は画面右側、つまり山科盆地の北縁を東西に走っていますが、写真ではわかりにくいですね。

 音羽山からは、反対側(西側)の京都市側へ下山し、第二の目的地である牛尾観音法厳寺を目指します。

 法厳寺は『清水寺の奥の院』とも称される、音羽山の中腹に建つ古寺で、清水寺の開基とされる延鎮上人(坂上田村麻呂の鹿狩りのエピソードで謡曲「田村」のモチーフとなっている)が開基であるとの伝承をもっています。



 法厳寺の本堂です。ちなみに御本尊は十一面千手観音であり、清水さんの御本尊さんと同一ですが、延鎮上人の伝承によれば、大津京ゆかりの天智天皇御製の観音像との謂われが有るとのことです。



 本堂の前に真新しい駒札が立ててありました。
 平安京が開かれる以前から寺基があり、複雑な沿革があることがわかります。そもそも建てられている立地からして、永らく修験道との関わりが深かったことが窺われます。

 山中を少し南へ行けば、真言系修験道(当山派)の本場・醍醐三宝院があり、反対に北へ逢坂山を越えれば、天台系修験・本山派の総本山である聖護院と関係の深い三井寺園城寺は至近距離といってよい位置にあります。
 駒札にもそのような経緯があったことが反映されているのか、法相宗(南都興福寺:清水寺も永らく法相宗でした)→真言宗(当山派修験)→修験宗(本山派)といった、複雑な歴史的経過がわかりますね。



 さて、牛尾観音さんから下山にかかりますが、ひたすら舗装道を音羽川に沿って歩いて行くことになります。山道でなく一般道ですが、新緑を眺めながらですのでそれほど苦にはなりません。




 山科の市街地からほんの少し分け入った場所のはずですが、自然豊かな渓流が残されており、往古は修験道の行場だったことが想像されますね。
 音羽川は歌枕としても知られており、数箇所歌碑が設置してありました。



この歌碑は中務と書かれていますが、鎌倉時代の皇族である宗尊親王のものだそうです。

 どんどん歩いて行くと、やがて山科区の小山まで出てきました。
 もう一歩きして、京阪追分まで出ようかと迷いましたが、折りよく山科駅ゆきのバスがあり、山科からJR
を利用して帰りました。