あえて杏ちゃんと書くが、私は杏ちゃんの大ファンである。彼女を映像で初めて見たのは、映画デビュー作「櫻の園」(2008年)においてだが、この作品では、いわば敵役の高校生役だった。ところが主役より、よっぽど魅力的だなぁと思ったのが最初である。その後、どんどん頭角を現し始めた。

 

 モデルを始めた頃は、父が渡辺謙であることを明かさなかった。大変な読書家で、パリコレのオーディションの待ち時間に、ひたむきに読書する姿が印象的だった。好みの本は歴史本で、代表的な〝歴女〟である。歴史学者の磯田道史が主宰する「磯田会」に参加し、同じメンバーの俳優・堺雅人から大きな影響を与えられたそうだ。

 

 尊敬する歴史上の人物は、直江兼続と新選組の永倉新八。そういえば、東京日野市にある「新選組資料館」に行ってみたら、〝渡邊杏〟と書かれた色紙があった(本欄1905回参照)。旧東海道を踏破するのが夢で、その一部を歩いたテレビの旅番組は、私にとっては保存版である。

 

 何事にも一所懸命で、チャレンジ精神が旺盛だ。NHKの朝の連ドラ「ごちそうさん」(13~14年)で主演した時、自分で何度も練習し、番組で扱った料理のほとんどをマスターしたという。その頃、産みの母、つまり渡辺謙の前妻は、ある宗教にはまり、数億円の借金をかかえたらしい。それを娘が返済したというのだから、頑張り度も並大抵ではない。そんな努力家と知性派である杏ちゃんの最新作が「かくしごと」である。

 

 絵本作家の千沙子(杏)は、しぶしぶ田舎に戻ってきた。長年絶縁状態にあった父(奥田瑛二)が認知症を患ったためだ。そんな時、突発事故に遭遇し、助けた少年(中須翔真)を自分の家に連れてくる。少年の身体には虐待の痕があり、少年は記憶を失っていた。千沙子は少年を自分の息子だと偽って、育てようとする。そんな〝かくしごと〟を秘めて、3人は奇妙な家族形態を育んでいく。ところがそこに虐待を加えた実の父親(安藤政信)が現れた…。

 

 最初は看護の映画かと思う。次に幼児虐待を訴求した社会派の映画かと迷う。いやいや、新しい家族の在り方を問うホームドラマかもしれないと疑う。しかし杏自身は、「ラストのドンデン返しが面白く、ミステリーと思って見てください」と言い切った。千沙子が自分の子供だと偽ったのは、少年の安全のためなのか? あるいは子供が欲しいと思う自分のエゴを満たすためなのか? そこがミステリアスなのだ。司法をすっ飛ばす行動力も杏らしい。

 

 自然の風景が美しい。老人の家は相模原の一軒家で、村や川のシーンは長野県で撮影された。監督と脚本を担当した関根光才は、CMのディレクター出身だけに(本作が長篇第2作)、日本の郷愁を写すのが得意なようだ。彼は「撮影に入ってからは、ひたすら杏さんばかりを撮ってました。彼女が自分の実人生をぶつけてくる生々しい感じは、他の作品では見られないのではないでしょうか」と語る。

 

 杏は、どちらかと言えば無表情で、オーバーアクションで演じるタイプではない。その意味では、彼女の内に秘めたミステリアスな〝かくしごと〟を見られるという意味で、この映画は貴重なのかもしれない。