市民球場の行方・まとめ

広島市が市民球場を解体する計画を立て、
そして迫り来る26日に解体が決定されるやもしれない状況ですが、
遅いかもしれないけど仕事の合間を縫い、
まとめを公開したいと思います。
タイトルは、誰でも分かるように、
楽しく優しく書けたらいいな、ってことで…

では始めましょう。

みなさん、広島市民球場はどこにあるでしょう。
知らない人は来てみてびっくりしますが、原爆ドームの真向かいにあるんです。
私も来てみて驚きました。

そもそも広島市民球場ができたのは1957年です。
2月に工事を始めて、開場したのが7月ですから、超早の工事です。
元々は市内の別の場所にある県営球場を使っていたんですが、
ナイター設備がなかったので新球場が必要に。
どれだけ急いだんじゃ、って感じですが、
原爆を落とされたのが1945年ですから、
まだまだ広島はがれきがたくさんあった時代です。
そのころは日本各地でナイター設備付きの球場が出てきてて、
よそに負けてられなかったんだなあと思います。

さて、球場ができてからは大幅にはしょりますが、
原爆投下で焼け野原となった市内でバラックから再出発した市民が、
日本で唯一の市民球団、
広島カープの頑張りに自らを重ねただろうことは想像に難くありません。
私が最初広島に来た時、
原爆ドームの真向かいにある市民球場では、
プロ野球の試合が行われていた最中でした。
最初は、平和公園の横なのに不謹慎だなあと思ったんですが、
そうじゃなくて、広島にとってなくてはならない場所だったんですね。
広島カープと広島の復興とは、切っても切れない関係なんです。
貧乏球団カープを支えるために、市民が樽募金を集めたというエピソードもありますね。
この辺の話は、ググればたくさんあるので読んでつかあさい。
これをやりだすと話が長あなってしまう。

さて、広島市民球場が「旧」となりかかったのは98年です。
というのも、この年広島市がJR広島駅付近の空き地を巨額で購入し、
ドーム球場を作ることを検討し始めたからです。
ちなみに、この時は平岡敬さんが市長でしたが、
平岡さんはことあるごとに「新球場は俺が作った」と話しているそうです。
ま、どうでもいいですね。

翌年の99年、秋葉忠利氏が広島市長に初当選します。
この時、この空き地に球場を作ると言ってました。
秋葉さんは選挙前に20人学級とかを公約にしてたんですが、
当選後にこれを「公約ではなく政策提案だ」と言い換えようとし、
議会の猛反発にあって前言撤回しています。
このあたりからすでに市議会とのやりとりに暗雲が立ちこめています。
これをよーく覚えておいてください。
球場問題ではこのやりとりに代表される関係の悪さが最後まで効いてきます。

01年3月になって、広島市が空き地にドーム球場を建てることを正式に提案。
中国経済連や広島商議所など、地元の経済4団体もこれを認めています。
さてここで、市民球場が「跡地」となる瞬間がやってきます。
01年12月、秋葉市長は
「新球場は空き地に作り、市民球場“跡地”を賑わい施設にする」と答弁。
この時、市民球場が公然と跡地にされました。
もちろんこの時のカープの本拠地は市民球場でしたよ。

03年2月になって、市長選で秋葉市長が再選。
所信表明で「市民球場跡地はサッカースタジアムの候補地の一つ」と発言します。
さあこれでサッカーサポーターは沸きに沸いたわけです。
やっと市内の一等地にサッカー専用球場ができるんだ!
遠いとこまで行かんでもええ、ピッチと観客席が近い一体感のある専用球場だ!

そういった熱いサポーターの声に後押しされたのか、
翌月県サッカー協会やサンフレッチェ広島はサッカースタジアム希望を公言しました。
ここまではいい流れじゃないですか?
新球場もサッカー専用球場も市内のど真ん中に作られる、
そんな期待感が広島中を充満していたに違いありません。
まさにスポーツ王国広島の復活劇です。
今日は家族とカープの応援に行こう、
あしたは仕事帰りにサンフレッチェで一汗かこう、
今実現しても最高です。
ところがですよ…悪夢ってのはあるもんですね。

03年12月、新球場を作るはずの共同企業体「エンティアム」が計画を白紙撤回します。
なんか、投資会社の偉い人が死んだかなんからしいんですけど、
本当についてません。なんででしょう。なんで死んだんだよー!!!
死んだという意味じゃ、サッカー専用球場案もこの時点で一回死にます。
これ以降サッカー専用球場の話は影も形も見えなくなってしまいました。

新球場がダメになったといって黙っている経済界ではありません。
04年8月、新球場をやっぱり建ててくれえと市に要望します。
さらに翌月、広島市の中心にある繁華街の団体が、現在地での建て替えを要望します。
あれ?なんかおかしくなりましたよね。
気づきました?
そうなんです。
現在地での建て替えを要望してるんですよね。
元々はJR広島駅近くの空き地ってことになってたんですけど、
やっぱり市民球場からカープが移転するというのはまずいとでも思ったのでしょうか。
地元団体は市民球場のにぎわいを欲したのでしょうが、
これが後々にも響いてきます。
地元団体はにぎわいが欲しい、これ、後で出てきますからね。

さてさて、
JR広島駅周辺の団体からは空き地で新球場を作ってくれー、
市民球場周辺の団体からは現在地で建て替えてくれーと言われ、
どうしようかと困った広島市は、
04年末に新球場を考える推進会議を作りました。
経済界や県市の議員や行政が集まって作った会議です。
ここで、ある市民アンケートが明らかにされます。
7割以上の市民が現在地での建て替えを望んでる………。
空き地で作ろうと思っていた人はビビったでしょうね、なんせ圧倒的だったんです。
さらに追い打ちを掛けるように、
全国広島東洋カープ私設応援団連盟が現在地でと声を挙げました。

ビビりにビビったであろう推進会議は、
05年3月に新球場は現地で建て替えすることに決めました。
ただし、それが技術的に無理だったらJR広島駅近くの空き地で、と付け加えて。

広島市は現在地での建て替え可能性を検討しました。
しかし、野球シーズンと並行しての建て替えでは2年以上掛かることが発覚。
その間広島カープをどーするんじゃ、という話があったり、
やっぱり金が掛かりすぎるでーという話があったりしたので、
05年6月、現在地での建て替えを断念することになりました。
しっかし本当にダメだったのかなあ。
現在地で建て替えてたら、
今ごろJR広島駅近くの空き地にはサンフレッチェの球場ができてたんじゃ…
いやいやいや、
そういう淡い思い、それはここで捨てましょう。
しかし、当時の市議会はこの市の判断がおかしいとしてえらく議会で糾弾してます。
ですが、結局新球場は駅近くの空き地に作られたので、結果的には無意味でした。
我々は市議とは違って未来を見ましょう。
まだまだ先は長いんです。

空き地といったり現在地といったり、
なんだか大変だなあといった具合の経済界ですが、
05年8月、空き地での建て替えをしぶしぶ了承。
そのかわり、広島市に球場跡地を活性化するよう要望を出しました。
商工会議所の当時の宇田会頭は、市民球場への思い入れが人一倍強かったそうです。
だからこそ抵抗していたんでしょうねえ。
そして、だからこそカープに代わるにぎわいを求めた。
ところがこのにぎわい、彼らが求めたのは商業施設だったんですね。
市民球場のある場所は公園なので、この辺で方向性があさってなんですよね。

まあともかく、これを受けて広島市は05年9月、
新球場は駅近くの空き地で、跡地には賑わいを、という基本方針を発表します。
市民球場は活用も解体も含め幅広く検討するとしているんですが、
報道によると市内部では、そもそも「解体前提だった」ってことのようです。
このころ、前後して秋葉市長が「150万人以上のにぎわいを作る」と言ってます。

広島市は新球場建設の計画を作ると共に、着々と市民球場についても計画を進めます。
このころ広島市はお金が全然なくて、市民球場を壊して何を作るにも金がない。
なので、民間からお金もアイデアも出してもらおうということで、
民間案を募集してそこから選ぶことにしたのです。
05年10月には、そのための予算を市議会が可決します。
議員さんたちは全くなんにも考えてなかったのか、
この時にはなーんにも言ってません。
後で解体反対と市議が言い出した時に、
秋葉市長が「選考の仕組みを作る時に文句言わなかったじゃん」と言ってるのはここ。
これはとりあえず置いておきましょう。

予算可決を受けた広島市は05年11~翌年1月、
市民球場跡地の利用について民間提案を募集しました。
民間からは26案の提案がありました。
サッカー場の案や、外野をつぶしてボールパークにする案、
緑地化して広場にする案、水族館のようなものを作る案、
ショッピングモールとする案などなど…
このうち11案が球場一部を利用する案でした。
このとき、同時に広島市が集めた市民意見377件のうち、
たったの34件しか市民球場保存や一部利用の意見はありませんでした。
広島市はここんとこを持ってきて、
「市民の意見を聞いた」って言ってるんですが、
ここで賢明な皆さんは気づいているはずです。
そもそも市民球場は現在地で建て替える前提で進んでいたということに。
それがダメになってから市民意見を募集するまでにかかった期間はたったの半年。
多くの市民は新球場で頭が一杯だったのでは?という当然の疑問が浮かびます。
ちなみに、現球場建て替えで盛り上がった時には平成の樽募金が行われました。
駅近くの空き地で作ったんなら、あのお金ってどこにいったんだろう??

さてさて、民間から集められた案を元に、06年3月から検討会議が開かれます。
会議には全国からさまざまな有識者が集められました。
しかしながら、会議は開始早々にもめ始めます。
報道によると、球場のある場所をどういう場所にするかっていうことを決めず、
とにかく150万人のにぎわいを作るために民間案を募集したってことがおかしい
という意見が出たみたいだけど軽く無視された。
検討会議の委員だった北海道大学の越沢明教授なんかは
「募集の前にあの土地の方向性を決めとくべきで、
 そん時に市民意見聞けば良かったじゃん」とか言ってるみたい。
委員ではないけれど、広島国際大工学部の石丸紀興教授は
「市民の意見を聞く市のプロセスが弱い」ってコメントしてる。
当時の議事録なんかを読むと会議では
「あの場所は広島の中心地。広島城につながる歴史と、それ以降の歴史を踏まえよう」
「とにかく市の中心部は緑化すべき」
「そもそも国が定める公園地区であり、にぎわいはなじまない」
っていう意見に集約されていったみたい。
結局、歴史の部分は無視されて、緑化って方向に。
さらに秋葉市長が言ってた「150万人のにぎわい」っていうのもいつの間にか消滅。
検討会議的には、やっぱ公園でにぎわいって難しいでしょ、ってことみたい。
そういえば、新球場がドーム球場にならなかったのもそういう理由らしい。
ドームにしてイベントやりたいって言った地元団体とかがあったらしいけど、
結局年間通じてそんなにイベントなんかできないよ、ドームは高価でペイできないよ、
っていう理由があってドームはナシになったって。
まあ確かにそうですよね。
そんなにイベントできるんなら、ビッグアーチは今だってもっと使われてるさ。

まあまあ、そんなこんなで検討会議は26案から11案を選びました。
市民球場は使うのか壊すのかがポイントになるという委員がいたんだけど、
なんでか知らないけど黙殺されてて全然争点になってない。
不思議だなあ。
とはいえ、この11案にはまだ球場を残すという案も入ってた。
個人営利の案は、公園になじまないっていう理由で全部ボツになってる。

11案にしか絞りきれなかったともいえる検討会議。
しかしまあこの11案にしても結構ずさんな案。
というのも、元々広島市は金がないから民間案を募集したわけだ。
だけど、この案の中には、
施設の維持費は市が払ってよーとか、
建設費の一部も市がみてよ、なんていう最初っから市頼りの案も混じってたわけ。
そこで広島市は一念発起。
「よーし、公園整備など公共部分はおれが払ってやるよ!」
06年1~3月、11案の民間事業者に対し、
金払いの部分を変えた募集要項を出し、再度事業計画案を出してもらうことに。
ところがところが残念なことに、
11事業者のうち、6事業者からしか再提出がなかった。
なんでだ??
どうもある日本大手のゼネコンの不祥事で指名停止を受け、
再提出ができなかったところがあったようです。
この中には、全額民間で払ってやれます、
という心強い球場活用案を出した事業者も含まれてた。
なんて残念至極な…なんて神はいたずらなんだ…いけずなんだ…

てなところで6案を元に、06年11月、今度は選考委員会が始まった。
選考委員会では検討会議の時と有識者が入れ替わってます。
例の「歴史を大事に」「そもそも先に方針決めて、それから募集だろ」
って言ってた北海道大学の越沢明教授とかは切られてる。
なんかめんどくさかったのかな。
ま、それはいいとして、選考委では6案から3案に絞られた。
水を球場跡地に引っ張ってきて、
さらに広場を作るというNTT都市開発の「水の都」が最高評価で、
次点が池原義郎設計事務所の折り鶴ホールを中心にした森の案。
折り鶴ホールは寄付で建てるので、金が集まらなかったら?ってなってた。
3案目はなんかよくわかんない市民の広場。
一応市民球場の内野部分を残し、他は花とか木とかを植える広場って案。

07年5月、最後の選考委員会。
ここで3案中、1案に絞られた。
水の都でいきましょうってことで、委員全員の了解が取れてます。
ある委員は「従来通りの事業コンペならこれしかない」とまで言ってる。
折り鶴ホールは、事業の担保性がないと言われてた。
で、市民の広場?は事業性がないのでボツ。
この時、折り鶴ホールはデザインに違和感があるとか、
市民の心に落ちるとは思えないとか、真ん中にあって公園として使いづらいとか、
市民の好き嫌いもあるとか、新たに平和記念公園はいらないとか、
寄付の見通しがない、不確定なものを選ぶわけにはいかない………
まあとにかくなんか難しいんじゃないのっていう声が多かったんですね。
ただし、折り鶴ホール案は、市民がワークショップで公園を作っていく、
っていう事業案だったので、そういう市民参加の部分については絶賛されてる。
まあただ、お金の問題とかもあったので、
委員長が仮として水の都でいきましょうと言って、全員了承したんだけど、
水の都案も市民参加については弱いところがあったので、後日聞くことにしてる。

結局選考委員会は07年8月にNTTと池原案の2案を市に報告します。
え?なぜに?なぜに折り鶴が復活したのか。
実現性については何も変わってないのに。
市が公開している物を読み解くと、
どうも水の都案の市民参加の部分が弱かったっぽいんですね。
折り鶴ホールの資金の曖昧さを補って余るくらいの弱さだったとしか考えられない。
というのも、それを理由として折り鶴ホールが復活してますからね。
そんなこんなで2案になったってことらしいです。
ところで、建築や事業案の選考の世界では、2案が最終案っていうのはありえない。
ということらしいですよ皆さん。
私は素人なんで全く分からなかったんですけど、
確かにどういう公園にするかコンセプトが全然違う物2つが最終的に選ばれたら、
結局どういう公園にするんだ、っていうことになって選考が意味なくなっちゃう。
そういう理由からですよね、多分。

2案が最終報告されてる時点でなんかもうグダグダ感のある市民球場跡地問題ですが、
ここでさらにグダグダな話が。
選考委終了後の08年2月、
商工会議所が自ビル移転前提で跡地利用計画を市に提案してくるんですね。
もうあんたらは一体何をやってんだと。
確かに平和公園から見れば原爆ドームの後ろにそびえている商議所ビルは邪魔だ。
でもねでもですよ、だからといって移転先が市民球場の正面入り口部分てのはどうよ。
それはおかしいでしょ。
なんで移転先がわずか100㍍足らず先なんですか。
でも広島市にとれば景観上邪魔だった商議所ビルが移転してくれるだけでうれしい。
商議所が出してきた案には
「跡地を2つに分ける。にぎわいゾーンと緑地ゾーン。
 劇場施設も作る。修学旅行用にバス置き場も作る」と書いてありますけど、
元々選考委員会で選ばれた2案にはそんなこと全く書いてありません。

広島市は08年9月、跡地利用基本方針を発表しました。
これは先の2案に商議所提案を混ぜたものですが、
2案の面影は「折り鶴ホールと森」「レストハウスとイベント広場」に残りました。
しかし、その他の配置やらなんやらはすべて商議所案丸呑み。
緑地ゾーンとにぎわいゾーンの割り振りも商議所案のままです。
劇場文化施設も作るってことにはなってますけど、
誰が作るのかってことについては全く考慮されていない。
劇団四季がいいって思ってる人は結構いるんでしょうけど、
劇団四季の代表が「球場跡地では成り立たない」との発言を読んだことがあります。
ちなみにこの時、広島市は初めて球場を「解体する」と文書上で明言しました。

基本方針を作ってごり押しするほど広島市も傲慢ではありません。
やっぱりきちっと市民意見を募集してくれます。
08年9~10月の間に募集され、642件の意見がありました。
うち旧市民球場についての言及は222件。
解体反対が44件。部分的利用が161件。
結構な数字じゃありませんか?
だいたい3割くらいが球場の全面解体に反対してるわけです。
ちなみに、検討会議、選考委員会を経て、
「大規模商業施設は不可、緑地化公園」という方向性であるにもかかわらず、
あいかわらず「アミューズメントパーク」や「広島タワー」を望む意見があります。
しかもそれが大半を占めるのですよ。
あんたら選考の過程をよお知らんのか?と思うかもしれませんが、
日々の仕事で忙しい市民ですから、
そんなとこまでよお知らんというのが本当のところでしょう。
そもそも市は基本方針を大きくは変えないつもりだったのですから、
このあたりでも市と市民の間で、意識に大きな溝があったことがうかがえます。

08年9月28日、広島市民球場で最後の公式試合がありました。
ウィキペディアによると、
「最後のセントラル・リーグ公式戦(通算3182試合目)となるヤクルト戦が行われ、
 6-3で広島が勝利。この日の入場者数は30,609人で、
 2005年からの実数発表以来最多動員を記録」とのことです。
私ももちろん行きました。感動で涙が出てしまいました。
でも、市民意見の募集に応募するのをまったく知りませんでした。
知っていたら…と思うと今でも悔しくなります。

ただ、結局、球場解体へ反対する声は確実に広島市に届きました。
反対意見の多さにビビった広島市は先の基本方針を変えます。
「では部分的に残しましょ。潰すまで使ってもらいましょ」
ってことで、ライトスタンドだけを残すようにして、
解体が開始されるまでは市民に使ってもらうようにしました。
ただ、「全面的に残すのはにぎわいを作れないので無理です」
ってなわけで、全面保存は受け入れられませんでした。
商工会議所のビルが球場入り口付近に移転するし、
全面保存はもう芽がない話になってるんですよね。
ちなみに、カープの本拠地が移ってから、
1年間の使用人数は15万人。6000万円の維持費がかかってるそうです。
ただ、この維持費には市民球場での折り鶴展示に関するものは含まれていないのかな。
ところでこの維持費、
広島市が払ってる、つまり我々の税金と思ってる人がいるでしょう?
違うみたいですよ。
そもそもカープが毎年払っていた球場使用料金が11億円ほどたまってて、
ここから払っているそうですから。
このお金、次は何に使うのかなあ。

基本方針を作って市民意見で叩かれた広島市は、09年1月、跡地利用計画を発表。
市民意見が多くあったために球場の一部を残す形で計画を出してきました。
ライトスタンドを残して、他は全部無くすと。
これがいいか悪いかはさて置いて、
広島市はこの計画を具体化する予算を翌月の市議会に提出してます。
この時の議会ではにぎわい創出ができるかどうかや、
折り鶴ホールなんて要らないよ!という声が続出。
まあそりゃあそうですよね。
150万人なんてそもそも無理なんだから。
もちろん議会内でもそういう声が出ていました。
ただ、ただですよ、
この時はもうとにかく集客性と折り鶴が焦点なんです。
我らが市民球場は活用すべきじゃろ!とか、
なんで壊すん、もうちょい待ちんさいや、という声はほとんどないんです。
市民球場をどうするか、というのを問うてこなかった
広島市のやり方に見事にはまり、その視点からの質問は極わずか。
結果的に、この時は予算が部分否決されました。

否決されてもめげない広島市は、
再度同年9月の市議会に具体化予算を提出。
ご想像通り、市議会内は前回と同様のムードです。
だーれーかーそもそも論をやってくれー!
この時も市議会は予算を部分否決。
怒ったであろう秋葉市長は記者会見で、
「市議会のやってることは意味が分からん」てなことを話しておりました。

市民球場に近い地元商店街は、
「はよーにぎわいを作ってくれー。折り鶴は嫌じゃー」と言いっぱなし。
一体どうなるんやあの場所はー?という声が続出する中、
商工会議所と広島県菓子工業組合は「全国菓子大博覧会」の話をぶちあげます。
「広島市さんがあそこをイベント広場にするんなら、そこでやらしてーや」
という話です。
菓子博って何?って私も全然知らなかったのでウィキペディア引用します。
「全国菓子大博覧会は日本の地方博覧会のひとつで、
 和菓子を中心に洋菓子スナック菓子等も含めた日本最大の菓子業界の展示会である」
だそうで、他都市が手を挙げなかったので広島が手を挙げたのです。
で、これを喜んだのが広島市。
勢い込んで「菓子博のためにあそこは早く解体せにゃいけん」と言い出します。
これで困ったのが県菓子工業組合。
市民や市議から「菓子博のために球場を解体せえ言うんか」と抗議の電話が殺到。
あわてて「解体して広場にすると市が言うから、使わせてくださいいう話です」
とメディアの取材に答えています。
さらに「市民球場が解体されなくても、菓子博のために使わせてもらいたい」
とも言ってますね。

そうこうして今年の2月になりました。
状況は相変わらずのもみ合い状態。
地元は「にぎわいよ、にぎわい」
商工会議所は「自分らーが移るから早う解体してーや」
市議は「折り鶴は嫌じゃ」
市は「手順踏んどるんじゃけえ解体させーや」
もう何度も言うのは嫌なんですけど、
だれかそもそも論をやってつかあさい!!
もう嫌だほんとに。

そして広島市は来年度予算案に球場解体予算を計上。
いや応なしに市議会は、
「球場を解体するのか否か」という問題に直面することになりました。
これがこの2月の話ですよ。
ぐだぐだぐだぐだやってきて、ようやくこの話が始まるわけです。
市民不在のまま。

2月の議会が始まってから、
市長は議会でこうおっしゃいました。


市議からはどんどんと球場に関する質問や意見が出てきました。
これについては以前のブログに書いているので見てみてください。
なんだか流れは解体阻止に来ているのではないか?と思わせますよね。
私もそう思っていました。
ところが…

3月23日、議会が動きます。
この日の午後5時はある物を提出する締め切り時間でした。
それは、予算案に対する修正案の締め切りです。
各マスコミはこれをにらんで取材しているのでしょう。
六時のニュースで各社一気に「球場解体へ」という衝撃的なニュースを報道しました。
広島市議会としてほとんどの市議が解体賛成に回ったという内容でした。
私は卒倒しそうになりました。
こないだの流れは一体何だったのか。
みなさんいろいろなことをおっしゃっていたではないですか…
高校球児の夢は?スポーツ施設の存続は?
そして一番大事な「市民の合意形成」は???

(続きます。疲れた)