昭和43年、千葉県同窓会を創設された「7人の侍」の先輩方が決められた恒例の五月の第三土曜日、平成27年5月16日に平成26年度千葉県同窓会総会(第47回)が開催されました。始めに倉沢良典会長(大21)から次期会長には3年後の千葉県同窓会50周年記念総会を盛大に催していただきたい旨の挨拶が有りました。

 来賓は本部同窓会会長に就任してまだ2週間目の片山幹夫新会長(大17)にご来席頂きました。片山会長から就任して初めての県同窓会総会に出席とご挨拶がありました。また来賓として関東地区連合会から菊池誠新会長(大25)のご名代で生田英生関東地区連副会長(大23)と、千葉県同窓会の準会員とも謂うべき薬師寺淳一関東地区連参与(大20)にご来席頂きました。

 総会は式次第に添って愛甲勝彦(大14)議長の元進められ、始めに昨年ご逝去された福田富彌先生(県2・第2代千葉県同窓会会長)と高畠成章先生(大7)に黙祷が捧げられました。倉沢会長は2期4年で勇退となり、新会長には森永修二先生(大23)が第10代千葉県同窓会会長に就任されることが満場一致で決まりました。

 記念講演では千葉県同窓会会員で歯周病の書籍も出版しておられる中原達郎先生(大42)から「重度歯周炎患者の補綴治療 ~クロスアーチブリッジで患者の信頼を得る~」と題してお話しいただきました。終了後は盛んに質問が出て同窓ならではの親しみのある講演会となりました。

 記念撮影後、懇親会に移り片山本部会長の元には次々とお酌の列が出来ました。
最後は出席の中で最若手の伊藤陽一郎先生(大52)のアイン・ツバイ・ドライの掛け声で校歌を合掌して和やかに終わりました。ご出席の皆様有難うございました。今回はご欠席の先生方も年末の忘年会には是非お見え下さい。

                               (文責 倉沢良典)




















 平成26年12月20日、土曜日。今年も千葉市のスカイウインドーズ東天紅にて千葉県同窓会忘年会が開催されました。
 今回の学術講演は、九州歯科大学顎口腔欠損再構築学分野准教授の有田正博先生(大34期)をお招きし、「ノンメタルクラスプデンチャーはどうですか?」というテーマで講演をしていただきました。以下、事前抄録を掲載させいていただきます。

 ノンメタルクラスプデンチャーは審美的な補綴装置として急速に一般臨床に拡大し,その種類も増加しています.ノンメタルクラスプデンチャーの材料としては,ポリアミド系樹脂(バルプラスト,ルシトーン,アルティメット),ポリエステル系樹脂(エステショット,エステショットブライト),ポリカーボネート系樹脂(レーニング樹脂)などがあります.
「ノンメタルクラスプデンチャーは本当に大丈夫ですか?問題はないのですか?」と気になるところですが,材料の特性,義歯の名称,構造設計,製作方法,技工士のスキルが異なり,ノンメタルクラスプデンチャーの評価は一致しません.
 私は,2009年からノンメタルクラスプデンチャーを試してみました.当初はポリアミド系樹脂のルシトーンFRSを使用していましたが,現在はポリアミド系樹脂であるアルティメットのみを使用しています.ポリアミド系樹脂のバルプラストは劣化の問題があり,ポリエステル系樹脂やポリカーボネート系樹脂は,破損の危険性が高いということで使用したことがありません.設計は技工所にまかせています.最初の数症例がうまくいったため,現在までとても好印象を持っています.しかし,日本補綴歯科学会は,そのホームページで『いわゆるノンクラスプデンチャー(正式にはノンメタルクラスプデンチャー)については外観の回復についての有効性という光の部分と,適応をあやまった場合に生ずる顎堤の異常吸収,支台歯の移動という重大な障害を惹起するという影の部分があり,その適応については今後のさらなる科学的な検証が必要である』として安易な使用に対して警告を発しており,学会としてのポジションペーパーにおいてもやはり否定的な立場を示しました.
インプラントは予知性が高い治療であると表現されますが,医療に予知性はあるのでしょうか?私が卒業した頃,コーヌステレスコープ義歯が全盛でした.今はどうなったのでしょうか?アタッチメント義歯はどうでしょう.ノンメタルクラスプデンチャーはどうなるのでしょうか?
 専門の技工所と連携してノンメタルクラスプデンチャーの臨床応用を行い,技工所の提案する新しい方法も試してみました.また,数か月間の適応症例を調査して,適応症例の欠損様式や設計について分析しました.
 本日は,ノンメタルクラスプデンチャーの応用症例や症例分析から学んだこと,ノンメタルクラスプデンチャーを通して考える補綴装置のあり方についての私見をお話し,皆様と年末の議論ができればと思います。

 有田先生の臨床では、部分床義歯のほとんどのケースがメタルクラスプデンチャーであり、ノンメタルクラスプデンチャーのケースは割合としては少ないそうです。しかし、患者の要望に対応するためのオプションの一つとして、臨床応用されていることや、材料の特性、設計、調査、臨床実感等を詳細に、かつ丁寧にお話をしていただき、大変勉強になりました。有田先生の優しいお人柄を感じることのできる講演でした。10数年前に登院実習でご指導いただいた時のことを懐かしく思い出しました。

 その後、数分の時間をいただき、九州歯科大学総合メール連絡網「九歯マガジン」への登録のお願いを、より多くの先生方にご登録をいただき、活用していただきたいという思いでプレゼンをさせていだきました。

 懇親会は、松延彰友本部同窓会会長、大森靖関東地区連合会会長、薬師寺淳一関東地区連合会副会長、小原眞和関東地区連合会専務、その他多数の来賓をお招きし、賑やかに行われました。松延先生が渡辺先生に法被をプレゼントされるシーンが印象的でした。各テーブルでは様々な話に花が咲き、笑い声が絶えず、親睦をさらに深めることができるあっという間の楽しいひと時でした。

 最後は有田先生の指揮のもと出席者全員での校歌斉唱で締めくくられ、今回も同窓の絆をさらに深めることのできた忘年会でした。        

                                 大53期 加藤友輔














 平成26年8月11日に福田富彌先生(県2)がご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

 渡辺道昭先生、大森靖先生、倉沢良典先生、森永修二先生、矢吹達郎先生より福田富彌先生への追悼文を寄稿していただきました。ありがとうございました。





                  福田富彌先生を偲んで

                                   大3期 渡邊道昭

「巨星墜つ!!」福田先生の御逝去の報に接した時、私の脳裏に浮かんだのはこの言葉でした。正に九州歯科大学千葉県同窓会にとってこれ以上ない悲しみです。福田先生こそ我が千葉県同窓会生みの親であり、最も大きな存在だったからです。
 私が福田先生の御厚誼をいただくようになってから略半世紀におよびますが、公私共にどれだけお世話になったのかはかり知れないものがあります。私が市川で開業したのは昭和36年3月のことですが、先生の奥様の弟様にあたる市川の先生が居られまして、地元で親しくつき合って下さっていたのですが、その御縁から再三にわたり福田先生から千葉に訪ねてくるようにとの伝言がありましたので、先生のお宅へ訪ねるようになりました。
 未だ千葉県同窓会が結成される前のことで、九州歯科大学の同窓の方が千葉県内に居られるかわからない頃です。松戸に追立史郎先生が居られたので、福田先生指導の下、三人で同窓の方を探すことから始めました。県歯科医師会の名簿や地区歯科医師会の先生方からの情報もあって次の先生方が千葉県に居られることがわかりました。
諸隈正恭、積田正義、福田富彌、追立正弘、江熊昭次、追立史郎の諸先生と私、渡邊道昭の7名です。
 その7名が昭和43年7月に福田先生のお宅の2階に集まり、九州歯科大学同窓会千葉県支部を立ち上げたのです。最初からすべて初代支部長は先輩の積田先生にお願いすることにしましたが、最初からすべて福田先生のご指示によるものでした。福田先生の懸け声で発足の際の7名のことを千葉県支部の7人の侍と称しています。
 昭和48年に福田支部長となり、会誌「冷泉」を発行の運びとなりました。会員数も22名になりました。
 福田先生と親友の医科歯科大学同窓会の先生との発案で、医科歯科大学、日大、東歯大、日歯大と九州歯科大の5歯科大学同窓会懇話会を開くことになりました。昭和53年には神奈川歯科大も入って6歯科大学同窓会懇話会となり、各大学から3~5名出席して懇親の場を広めました。その後現在まで千葉県に在るすべての歯科大学同窓会が入会して毎年賑々しく親しい会を続けていることは後輩諸先生も御存知の通りです。
 九州歯科大学同窓会関東地区連合会に於いては福田先生は昭和62年以降2期6年間会長を務められ、同窓会のために力を尽くされました。九州歯科大学同窓会にとって福田先生の御逝去は惜しんでも限りなく、千葉県同窓会にとっても悲しんでもあまりある程であると思います。
 ここに福田富彌先生の永年にわたるご功績を偲び、深く哀悼の意を表しますと共に、心からご冥福をお祈り申し上げます。


                    追悼の辞

                            関東地区連合会 会長 大森靖

 福田富彌先生のご逝去の報に接し、先生より様々な薫陶を受け、私共の師と仰ぐかけがえのない指導者を失いましたことは、誠に残念でなりません。ここに慎んで哀悼の意を表しますとともにご遺族の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。
 先生は大正13年に福岡県大牟田市にお生まれになり、大正、昭和、平成の三時代を通して生きてこられました。歯科医師として、地域社会に貢献をされつつ、激動の時代、戦争、終戦などの歴史の動きや好況、不景気、食料難、何々ショックといった社会経済情勢の変転の著しいのもがあった時代をのりこえ、数えれば91年の長きにわたる先生の生き方は、私どもの人生観にとって示唆に富んだものでした。
 日頃愚痴を言わない先生のご苦労は筆舌に尽くせぬものがあったと思います。
 先生は九州人としての気骨を示され、信念の人でありました。その一方で温容なお人柄は皆に慕われ、優れた先見性や統率力をいかんなく発揮され、昭和54年には千葉県歯において、九州歯科大学出身者としては極めて稀な一番大きな千葉市歯科医師会の会長を務められ、幾多の実績を残されました。
 同窓会にあっては、昭和43年7月に千葉市院内町の福田歯科2階に7名の同窓が集まって同窓会千葉県支部(当時)の発足にご尽力をされました。その日参集した先輩方7名は母校から遠く離れた千葉の地で開業する自分達を当時流行っていた黒澤明監督の映画「7人の侍」に因んで「千葉県同窓会の7人の侍」と称したという事は伝説となっております。

7人の侍は、
初代会長  積田正義 (専15)(故人)
2代会長  福田富彌 (県2) (故人)
3代会長  追立正弘 (県6) (故人)
4代会長  渡邊道昭 (大3)
5代会長  追立史郎 (大6)
     江熊昭次 (県2)
     樺島敏郎      (故人)

 福田先生は、2代会長であり、その後関東地区連合会の会長も務められました。
「桃李もの言わざれども、自ずとその下、蹊をなす」の言葉があります。酒をたしなみ、ゴルフを楽しみ、人生を語らい、母校愛や同窓会の絆や和の大切さを説き、そしてこよなく家族を愛された人でした。
 先生の周りには、私と同じく先生が大好きだった人たちが、自然に集まり、「つどう会」が続いていました。
 晩年は奥様の介護やお世話を黙々とこなされ、ご自分の体調も万全ではない中を診療も頑張ってこられました。
 先生に送って戴いた写真を改めて拝見をし、在りし日の先生の温容の姿を偲びつつ、ご恩義に感謝をし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。私達同窓会は先生の御遺志を継ぎ、同窓会の発展に精進してまいりますのでどうぞお見守り下さいますようお願いを申し上げます。



                  福田富彌先生の思い出

                                  大21期 倉沢良典

 福田先生に始めてお会いしたのは私が学部1年生の夏休み、今から45年前に成ります。千葉市院内町の診療所をお訪ねすると、先生は奥様を助手に精力的に患者さんを診療している真っ最中でした。
私が訪ねる1週間ほど前に父がお尋ねしていたので、父の事が話題になりました。
「お父上がご挨拶に来られたよ。背中をピンと伸ばして、立派なお方だねえ」
先生に父のことを褒められて面映ゆい思いでした。
卒業し千葉で開業をして、同窓会に参加すると、お会いするたびに
「お父上はお元気?」と必ず父の事が話題になりました。
 福田先生は歴史にお強い方でした。特に日露戦争の広瀬武夫にまつわるお話がお得意で、同窓会の雑誌にたびたび寄稿されていました。また大分の幕末の教育家・広瀬淡窓についてもご造詣が深く、私も先生の感化で淡窓の伝記や著作を読み、日田市の咸宜園を亡妻と訪問したのも懐かしい思い出です。
 関東地区連の帰りの総武快速では毎回、福田先生・渡辺先生・嘉村先生とでビールにおつまみで酒盛りに成ったのも楽しい思い出です。
 巨星落つ!
 千葉県同窓会の草創メンバーである「7人の侍」がまた一人彼岸に行かれました。あちらでも先に行かれた同級生の山本幸雄先生(県2)や、石部正人先生(県2)、追立正弘先生(県6)、皆様と楽しくにぎやかにお過ごしください。
                                平成26年8月21日記

                    福田先生を偲ぶ

                                  大23期 森永修二

 先生は昭和47年から56年まで5期九歯大千葉県同窓会の会長を務められと聞いております。私は昭和50年に卒業してもともと九州で生まれ育ちましたが丁度卒業したころ親はサラリーマンでしたので転勤あり、丁度その頃、親が千葉県船橋に住んでいまして、卒業して船橋に帰り、我孫子中央病院に勤めました。そこには、お亡くなりましたが先輩の藤原先生が歯科部長を務められておりまして、時々千葉県の同窓会があると言ってお出かけになっておりました、千葉県で開業するのでしたら同窓会に入ったらと言うようなことをおしゃっていました。
 53年に船橋にて開業しまして歯科医師会に入会しましたが、なにか九歯大が懐かしくて藤原先生の言葉を思いだし、同窓会に出向きました。丁度福田先生が会長をされており、福田先生は大牟田出身で私も大牟田出身でしたので、「森永先生も大牟田ね」と言われたのを思い出します。先生もどちらかというと何時までも九州弁が残って居られたような印象がしています。晩年あまり体調が良くないと聞いておりました時、先生に「つどい」の原稿の件と言う事を口実にして電話をかけさせていただいたことがございました。その時先生は、「俺じゃないとどうしてもダメと言う患者さんがいるから仕事しょっとよ」とおっしゃたのが私が聞いた最後のお声でした。
 「九歯大千葉県同窓会七人の侍」から始まった千葉県九歯大同窓会の為にご尽力された先生に心よりのご冥福をお祈り申し上げます。   


                    福田先生を偲んで

                                  大26期 矢吹達郎

 私と福田先生との出会いは、船橋市で開業するにあたり、船橋歯科医師会入会審査会に推薦者の同行を求められ、困っていた時でした。
 私は、高校が岡山県でしたので、在学中は「岡山県人会」に所属しており、東京・千葉・横浜の諸先輩とのコンタクトはありませんでした。同期の弘岡氏が先に千葉市内で開業されており、(弘岡氏も高校は岡山)弘岡氏に入会審査の推薦人についてご相談をしたところ、福田先生を紹介していただきました。
 福田先生には、入会審査の当日のみならず、前日には、船橋市前原地区のご近所の開業医のところへも開業のご挨拶に同行していただき、ほんとうに感謝いたしております。その後、千葉県同窓会では、倉沢先生(現会長)の会計業務の補佐をさせていただき、監査の時や、同窓会の会合では福田先生に、いろいろご指導いただきました。時々、ご自宅にもよせていただき、奥様とあたたかく迎えていただきました。
 平成19年には、千葉県歯科医師会主催の「日本赤十字社救急法」の実習に福田先生もご参加になり、「うちの診療室にもAEDを置こうと思う」とおっしゃられ若い会員に交じって実習をされており、そのころからおみ足が悪かったのですが、実習に参加されるという意欲に感心いたしました。実習の帰りには、ご自宅までお送りさせていただきました。
 本当に頼りになる、懐の広い尊敬する大先輩でした。


          九州歯科大学千葉県同窓会史より抜粋

次いで、千葉県で勤務・開院した2人目の九歯大同窓生は、
昭和21年に福田富彌先生が木更津市で勤務を始めた。

<福田富彌> (県立2期)
大正13年3月20日生~平成26年8月11日没 (享年91歳)
福田先生は大牟田市の出身です。
昭和19年、九州医学歯学専門学校(当時)入学。在学中に終戦を迎えました。
昭和20年9月、福岡県立医学歯学専門学校と名称を変えた母校を繰上げ卒業しました。県立2期同期の福田・山本・石部先生は昭和21年3月の卒業予定だったが、戦後の混乱の為、昭和20年9月30日に早まりました。卒業後は母校の一般病理学教室に残られました。

氏の妻の父・杉山聞多氏は千葉県歯科医師会会長(S21.4~S22.10)を務めたが、聞多氏の長男で、福田先生には義兄に当る、杉山英世氏がシベリヤに抑留され杉山聞多氏の跡を継ぐことが出来ないでいた。その為、叔父の福田生駒氏(東歯卒)にも頼まれ、母校の病理・高野教授に事情を話し、1年間だけの積もりで、昭和21年から千葉県木更津市・杉山歯科で勤務を始めた。一時、九州や母校に戻ったりしたが結局、昭和32年に千葉市院内町で開業した。昭和54年~昭和56年、千葉市歯科医師会会長(1期)を務めた。当時、市歯科医師会会員の同窓生は数名しか居らず、僅かに久保岳夫先生(大16)が会計担当理事として会長を補佐した。その後、同窓会関東地区連合会会長を勤めました。
福田先生は明治期の歴史がお好きで同窓会誌に広瀬武夫の事績などを多数執筆されました。

同窓会関連の経歴は、
昭和43年~昭和47年 千葉県同窓会副会長
昭和47年~昭和56年 千葉県同窓会会長
昭和56年~平成26年 千葉県同窓会顧問
昭和 年~昭和 年  関東地区連合会会長
院内町の診療所はご子息の福田裕先生(日本大学歯学部卒)が継がれました。

<七人の侍・千葉県同窓会発足>
以上の7名、積田正義、福田富彌、江熊昭次、追立史郎、渡辺道昭、追立正弘、
各先生方は互いに連絡があり、昭和43年7月 日に千葉市院内町の福田歯科2階に7名が集まって「九州歯科大学同窓会千葉県支部」(当時)を発足させた。
初代会長には最年長の積田先生が就任し、昭和47年まで2期勤めた。

その日参集した7名は母校から遠く離れた千葉の地で開業する自分達を当時流行っていた黒澤映画に因んで「(千葉県同窓会の)七人の侍」と称した。
その席上、総会をいつ行うかが話し合われ、新年度に入った5月で保険請求が終わる第3土曜日が良いだろうと決められた。

以後、千葉県同窓会では必ず毎年5月第3土曜日に総会を行っている。
これは鉄の不文律として今でも守られている。
将来、後継の千葉県同窓会諸氏もこれを守られることを期待したい。