📗【村田エフェンディ滞土録】(著:梨木香歩)
これも、数年前【シナン】等と同じ時期……結構前に買ったものの💧
📖短いのに、なかなか読む気にならなかったのですが、
今年は📘【イスタンブールの群狼】📘【イスタンブールの毒蛇】と、19世紀のオスマン帝国終焉の頃の本が面白くて、
図書館で【落日のポスポラス】をまた借りてきたり(笑)
あと今、まだ途中の💧🇬🇷アテネ旅行記ブログで、ミケーネ遺跡のシュリーマンの時代も重なる📙【村田エフェンディ滞土録】
読み始めたらあっという間に読了!
「滞土録」の土は「🇹🇷土耳古=トルコ」の意味で、19世紀にトルコへ留学していた村田が主人公の話です。
あらすじ::::::::::::::
1899年、🛳エルトゥールル号遭難事故の後、両国の友好の深まりを願い、留学生の1人に選ばれた村田の🇹🇷トルコ留学中の話です。
オーナーの🇬🇧ディクソン夫人と、使用人(当時は奴隷)🇹🇷ムハンマドの他、下宿仲間は…
ドイツ人🇩🇪オットーは、例のシュリーマンのトロイ遺跡の第4次発掘⛏️チームに携わっていて、
ギリシャ人🇬🇷ディミィトリスも、希臘考古学会会員で、やはりシュリーマンのティリンス発掘⛏️の時の政府視察団の1人という人物(この辺の話は最初に出てきただけだけど(笑))
そして、ディミトリスはフランス育ちですが、やはり
「私はビザンツの末裔だ」と言っていました。また「🇬🇷ギリシャ政府はトルコの傀儡だ」とも……
と、読みながら時代背景が浮かび上がり
また、🇹🇷ムハンマドからすると、シュリーマンは🦹♀墓盗人ですが
(実際そう書かれている本多いし、トルコで発掘したものは、ドイツやロシア、イギリス等に流れているもの多いですね💦)
🇬🇷ギリシャ人のディミィトリスからすると、真逆の評価で、それぞれの立場が浮き彫りになります。
梨木香歩というと📖『西の魔女が死んだ』が有名ですが
それとは全く違ったアプローチの歴史小説で、同じ人が書いたとは思えませんでした
(というか…他は私、エッセイしか読んだことが無いけど💧)
国名もカタカナでなく、🇹🇷土耳古、🇬🇷希臘(ギリシャ)、🇩🇪独逸(ドイツ)、🇮🇹羅馬(ローマ)、🕎猶太(ユダヤ)、🇮🇷波斯(ペルシャ)、
君府(コンスタンチノープル)等、当時の呼び方などに忠実で、時代に寄り添っている感じがしました。
けっこう昔に出版されていたものも「君府」と書いている本も結構ありますよね?
あと昔の本の方が、カタカナのルビが、最近の英語読みやローマ字読みよりも、忠実な気もしたり…
村田の毎日は、下宿仲間と議論したり🗣️👱🧔、拾った🦜鸚鵡に翻弄されたり、
他宗教の✝️☪️☦️歴史を重ねたイスタンブルならではの、神様の喧嘩?に巻き込まれたり?!
…個人的には、その辺のファンタジーっぽいところはあまり惹かれなかったのですが
村田の帰国後の最後の章で、現実が伝えられ、最後にどっと✨感動が押し寄せてきました😢✨
(……でも、裏表紙の茂木健一郎の解説に
“だがある日、突然の帰国命令が…“ってあるけど、それはかなり終わりの方で
あとがきならわかるけど、裏表紙にこの解説ってどうなの?…見なきゃよかった)
そして、 村田はモデルがいるのか知りませんが、
在土🇹🇷邦人仲間で登場する、山田寅次郎🐯
彼は実在の人物で
19世紀、20世紀初頭は、渋沢栄一の時代ともリンクし(📺「青天を衝け」面白くなってきた!)世界中🌏どこも激動の時代なので
📺【帝都・アブデュルハミド(Payitaht Abdülhamid)】や
📺【Vatanım Sensin (Wounded Love)】
(こっちは【オスマン帝国外伝】のスレイマン役ハリット・エルゲンチュ主役で、💖イブラヒム(オカン・ヤラブク)も出演)
も凄く見たい
ところで、ちょっと…全然関係ないですが💦
📙アントニオ猪木【世界闘魂秘録🤼】
(先週17日は、母の誕生日で韓国ドラマの本を🎁)
以前も何度か猪木の本を父に贈りましたが📚、他は私には興味のない、プロレスの話が多かったのに対し、
これは🤼プロレス好きでなくても、十分楽しめるというか、
現在の、📱スマホで手軽に情報得て🛫旅するバックパッカーの話より、ずっと面白い
ホントに不死身で🦸(笑)、今生きてるのが奇跡?!✨(まるで、現代の🇮🇳ポロス?!)
で、先程🚢エルトゥールル号遭難事故にふれましたが、
その後、イラン・イラク戦争で 🇹🇷トルコ政府が、🇮🇷イランから日本人脱出の為に、✈️チャーター機を出してくれたことは、映画🎬【海難1890】でも描かれています。
そしてその後、今度は🇮🇶イラクが🇰🇼クウェートに侵攻した頃、参議院議員になったアントニオ猪木は
在外国人が🇰🇼クウェートから連れ去られ、🇮🇶バクダッドで包囲された事(事実上人質)を知りますが、
日本では周りの議員も誰一人動かないので、
猪木は紹介の紹介で要人をたどり、フセインの長男🧔ウダイに辿り着き、
その後も紆余曲折の末に、人質になっていた邦人約40組を救いました。
もちろん一筋縄ではいかず、何度もイラクを訪れました🛫🛬🛫🛬🛫💦
日本で待つ邦人家族は、政府も外務省も動いてくれないので、猪木に助けを求め
猪木は、なんとか自民党に🇮🇶バクダッドまでの🛫チャーター機を政府に出してもらう内諾までしていたのに、
直前になり様々な圧力が掛かり、それを邪魔され、一度諦めますが
そんな中、以前パーティーで言葉を交わし、交流のあった、当時の🇹🇷トルコのオザル大統領に掛け合ったところ、
オザル大統領が協力してくれ、🇹🇭バンコク、🇦🇪ドバイ、🇯🇴アンマン経由で、🇮🇶バクダッド入りし、やっと邦人家族が🆗面会することが出来ました👨👨👦👦
しかし残念ながら、この時は面会しか許されず、邦人人質の解放は結局出来ませんでしたが、
その後(翌年?)人質解放へと繋がったのは、他ならない猪木の尽力があったからです。
議員時代、ビンタシーン等、メディアでは面白おかしく取り上げられる事の方が多く、時には「売名」とか
(日本は、著名人が寄付するだけで売名とか……一銭も出さない奴に限って言いますよね?!)
でも、いつも正々堂々として私は好きでした。
(偏見かもしれませんが、覆面議員達🤼と同じにして欲しくない)
……余談ですが、
その後🧔フセイン政権が崩壊し、フセインは逃亡するも、🇺🇸米軍に捕まった事は、当時日本でも大きなニュースになりましたが、
日本人で1番最初にそれを撮影したのは、📷戦場カメラマンの渡部陽一さんです。
私は昔、まだ無名の彼に、🇮🇩インドネシアのジャカルタで会った事がありました。
ジャカルタ到着日に、🏦銀行を探しフラフラしていた時、たまたま旅行代理店で「……日本人ですか?」と、お互い話しかけたのがきっかけでした。
実はその前日、在ジャカルタ🇺🇸米大使館が襲撃されたので、何か情報を知りたくて聞いたところ彼も
「気になって寄ったけど、ここは至って平和で心配なさそうですね?」
という感じで、その後3時間くらいお茶して、彼の取材した貴重な写真等を見せてもらい、私の友達が迎えに来る時間になったので、
最後はお互い、旅の無事を祈り🙏別れました
(私のくだらない話にもゆっくり頷きながら、とても聞き上手でした)
当時🇹🇱東ティモールの独立戦争が起きていて、彼はその取材でジャカルタに寄ったんだそうで、
その数年後、📺ニュース見てたら、
「🎤現地の渡部陽一さん……お願いします…」と、いきなりフセインの取材しているのを見て「凄いスクープ!出世した〜!」と驚き
今度はそのしばらく後になって、バラエティに出てブレイクして更にビックリしました(笑)
村田エフェンディから随分話が外れましたが💧
その🇮🇩ジャカルタに行った時、数年振りに再会する友達が☪️ムスリムだったので、
彼女に見せようと🇹🇷ブルーモスク🕌に行った写真を数枚持っていて、渡部さんに見せたんです💧
「きっと…お友達、😄喜ぶと、思います…!」と頷きながら言ってくれましたが、後でプロカメラマンに見せた事が恥ずかしくなった私💦
最後に、アントニオ猪木は、現在入院中で、とても痩せ細ってしまいましたが、元気な姿が早く見たいです。
☪️インシャ アッラー🛐