瞬間的顕現性思考は妄想なのか? | kyupinの日記 気が向けば更新

瞬間的顕現性思考は妄想なのか?

今日の診察時、患者さんの質問に答えた内容から。すぐに忘れてしまいそうなので、メモとして記事にしておく。

 

ただし、その人は統合失調症なのでかなり易しく噛み砕いて話したが、ここではもう少し一般的に記載するため難しいと感じる人もいるかもしれない。

 

結果から話すと、その人には理解できなかった。その大きな理由は、その人は既に妄想の域に達しており洞察が難しかったからである。

 

約4年前にアップした記事に「こんまりさんの話 」がある。こんまりさんとは、片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんのことで、彼女の書籍はその後、海外でもベストセラーになり、妊婦さんにも関わらず海外まで招待されて、テレビなどでお片付けを実演するニュースを観た。

 

彼女の話では、「ときめかないものは捨てる」という方針が良いらしい。この「ときめき」と顕現性はおそらく似た性質を持つ。

 

例えば、ぼんやり2月のカレンダーを眺めているとしよう。ある女性は2月14日に目が行く。その日はバレンタインデーだからである。その女性に彼氏がおり、彼にプレゼントをするとか、食事にでかけるなどを思いめぐらせていた時、彼女にとって「14日は特別な日」である。

 

カレンダー上に単調に数字が並んでいたとしても、その日(14日)はときめきのある日なのである。

 

この心理状態も含めた一連の現象が顕現性を表現していると思う。その瞬間、脳内ではドパミンに関係する神経活動が亢進していると思われる。それは同時にときめきといった感情にも繋がっている。

 

この特別な現象が妙な方角に行ってしまい、その結果、奇妙な思考に繋がり固定されてしまう状態が妄想である。

 

少し言い換えると、顕現性なる現象は日常茶飯で、次々に脳内で消化されていくことが、脳的には健康なのであろうが、あるポイントで強く固定され前に進まなくなり、荒唐無稽な物語が付随した状態が妄想なんだと思う。

 

この一連の現象にはドパミンが関与するので、ドパミンを遮断する抗精神病薬を服薬すると、その顕現性は極端には現れなくなる。その結果、あまり妄想が目立たなくなる。それは、その時点では必ずしも100%消失しているとは言えない。その理由は、薬を中断すると、同じことを再び言い始めるからである。

 

過去ログで、希死念慮は物質的なもので、それに囚われはじめると、容易にそこに行ってしまうという表現が出てくる。

 

例えば、統合失調症の発症当時、かなり荒唐無稽の妄想が生じていたとしても、初回の治療が順調に進むと、全く消失してしまうことが実際にある。その瞬間には妄想だが、全く消失してしまうという点で予後良好である。これは初回の緊張病性増悪では、まだ時間的に長くはないため、物質と言うかトンネルにはなっていないんだと思われる(比喩)。

 

その点で、時間のパラメータは非常に重要なんだろう。癌の進行にステージがあるように。

 

なお、抗精神病薬、特に旧来の単純に抑えるタイプ(代表的にはセレネース)を服用すれば、ドパミン活動が抑制されてしまうので、心がときめかない状態が遷延するのは当たり前である。つまり、常に面白くない。

 

その点、ジプレキサなどの賦活性の要素を持ち合わせる薬は、もう少しワザがあるので、ときめきも完全には抑制されない。この差は大きく、長期的には脳内活動の自然さという視点で大きな差異が生じると思われる。

 

妄想には、顕現性と言う日常誰でもあることを出発点としているが、 何かの拍子にどこか妙な状態に至ると言う点で、決して健康ではない。その一連の現象が生じるかどうかは、遺伝子などにも大きく関係しているはずである。(家族歴などをみると)

 

つまり瞬間的な顕現性思考はさほど統合失調症的とまでは言えないが、外から見て、ある一定の期間、訂正不能が確認された時、妄想に至ったと言える。

 

瞬間的顕現性思考とは、例えば、「笑い声が聞こえると自分が笑われている感じがする」などの現象も含むが、それだけでは妄想とまでいえないし、また訂正不能でもない。

 

ある患者さんに、この現象がこのレベルで留まっているという瞬間が見える限り、それから統合失調症にまで発展する経過は未だかつて見たことがない。

 

個人的に、その時点で留まれる脳の状態こそ、ある意味、健康な脳が広いことを証明しており(ある種の許容力)、大きな意味があるのだと思う。

 

参考

断捨離とシュレッダー

こんまりさんの話

周りで笑い声がすると・・

人が自分に対し咳払いをする

器質性妄想とトピナ
ほんの30秒だけ続く被毒妄想
内因性幻聴と器質性幻聴

統合失調症の発病と再発