元海軍のおじいちゃん
今日のエントリは「ドグマチールと老人」で出てきた患者さんのその後の経過について。このエントリから一部抜粋。
最近、ちょうどこのようになろうとしていた患者さんが来院した。その老人の男性患者さんは、最近になりふらついて転倒しやすくなったという。複雑な内科、精神科薬の多剤併用だったのだが、最も疑わしいのはドグマチール100mgであった。一見、有罪の薬剤がなさそうに見えても、プリンペランくらいでも同じような副作用が出現しうる。ドグマチールとセレナールと眠剤の一部を中止したら、1ヶ月もしないうちにかなり体が軽くなり動きも良くなってきた。やがて、杖もいらなくなったのである。しかも、血圧も下がってきたので降圧剤も減量が可能になった。 もともとうちに来た時に、精神科薬はドグマチール、セレナール、アモバン、デパスと言った感じで処方されていた。これは明らかにドグマチールを使い慣れている処方だと思う。今の精神科の処方は、メイラックス1mgとアモバン7.5mgの半錠のみである。なぜこうなるのかというと、精神科薬物でこの人のようにパーキンソン症状が出るくらいに服用していると、それだけで不眠になるので、眠剤もしっかり飲まないとバランスがとれないのである。だから、精神科薬を減らせば、それに応じて少なめの眠剤で十分になる(ことが多い)。なぜメイラックスかというと、ドグマチールが処方されるような元気がない老人はメイラックスは気のせい?くらいは意欲を出すのと、副作用の少なさによる。複雑な内科&精神科多剤併用が、シンプルな処方にかわったのであった。
この患者さんの現在の処方は、
メイラックス 1㎎
マイスリー 5㎎
ツムラ 7 5g
他降圧剤
であるが、アモバンはその後マイスリーに変更し排尿障害のためツムラ7を併用している。このツムラは向精神薬による副作用止めではなく、独立した薬物治療である。
このおじいちゃんは、以前からインテリっぽい人と思っていた。診察時に「それはオミットしておいてください」などと言ったりするからだ。この年齢(85歳以上)ではちょっと珍しい応対といえる。最近は診察時に最近はどうですか?などと聞くと「相変わらずノーマルです」などと答える。これは別にルー大柴の真似をしているわけではなく、この人の個性だと思っていた。
ある日の診察時、終戦当時の話を聞いてみた。今年は昭和83年に当たるので、彼は大正生まれで戦争に採られる年齢だったからだ。
彼は終戦時、海軍にいたらしい。彼の話によれば、陸軍はがむしゃら、海軍の方がブリティッシュタイプで考え方が近代的だったという。
海軍はフランス式の調練をしていました。
私は海軍の予備学生だった。
予備学生とは士官候補生みたいなものですか?と僕は聞いた。彼はすぐに「それは陸軍式の言い方です」と指摘。予備学生とは、幹部候補生という意味合いはあったようである。彼は当時医学部志望だったという。医師不足のため、戦時中だけ設置された医専に合格したがその後、放棄したらしい。
海軍の話であるが、彼は少々笑いながら、「当時、海軍はさんざんにやられて軍艦は一隻も残っていない。ゼロ戦が主力でした・・」
終戦は鹿児島で迎えた。少尉だったという。当時、鹿児島では海軍は鹿屋、国分などの基地があった。僕は知覧などもありますしね、などというと、すかさず「知覧は陸軍です」と指摘された。そういえば、知覧は特攻の基地ではあったが、調べてみると、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所などと出てくるので確かに海軍ではない。
なぜこのような話になったかというと、この年齢で特に激戦地に行った男性はほとんどの人が長生き出来ていないように思うからだ。例えば陸軍で過酷な環境で戦った兵士は、幸運に生き残ったとしても、この時の身体的な影響のために長生きをされていない。陸軍で特に過酷な戦場で戦った人たちは、やがて、戦場について語れる人がどんどん亡くなっていくと思われる。
先日、レイテ島の守備兵の特集をNHKで観たが、食料がなくなり、トカゲでも蛙でも食べられそうなものは何でも食べたという。それも火を通さずである。アメーバ赤痢が流行り、兵士はそういう病気になると行軍に付いていけなかったらしい。
いつだったか、バフェットとコーラの話をしたときに、アメリカ人は日本人より平均寿命が短いが、とりわけ長生きする人の割合は日本人より多いとう話がコメント欄で出た。これは戦争時の日本とアメリカの状況や当時の食糧事情が大きいと思われる。
とにかく、このおじいちゃんは海軍だったことが、今の健康状態と無関係ではないと思われる。そういう話の文脈で、この海軍の話になったのであった。
彼は僕に問うた。「自分は今後どうなるのか聞きたい」と。どうも彼はこの年齢でも、向精神薬をいつまで飲まないといけないかとか、自分はこれから認知症になるかどうか?が気になるらしい。(参考)
僕は向精神薬自体はたいした量ではないし、止められないとは言わないけど、無理に止める必要はないでしょう。一生飲んだとしても人生は変わらないです。
認知症は、今が何しろこのくらいしっかりしているので、確率的にはかなり大丈夫ではないかと答えた。認知症は遺伝的に出る人たちはこの年齢ではとっくに出ていると思われる。しかし、認知症は老化の一面もあるので、110歳くらいまで生きていたとしたら、物忘れは今よりずっと多いかもしれませんね。
くらいに答えた。
正直、あの年齢で、あのようなやりとりが出来る人は癌にでもならない限り、なかなか死ぬことはないように思うし、ボケるのも容易には想像できない。一方、男性は100歳まで生きる人が極めて少ないのも事実だ。彼はあの年齢で介護保険は非該当なのである。
100歳まで生きられないとしたら、彼はあと20年も生きないということになる。そういうことを思いつつ話をしていた。
最近、ちょうどこのようになろうとしていた患者さんが来院した。その老人の男性患者さんは、最近になりふらついて転倒しやすくなったという。複雑な内科、精神科薬の多剤併用だったのだが、最も疑わしいのはドグマチール100mgであった。一見、有罪の薬剤がなさそうに見えても、プリンペランくらいでも同じような副作用が出現しうる。ドグマチールとセレナールと眠剤の一部を中止したら、1ヶ月もしないうちにかなり体が軽くなり動きも良くなってきた。やがて、杖もいらなくなったのである。しかも、血圧も下がってきたので降圧剤も減量が可能になった。 もともとうちに来た時に、精神科薬はドグマチール、セレナール、アモバン、デパスと言った感じで処方されていた。これは明らかにドグマチールを使い慣れている処方だと思う。今の精神科の処方は、メイラックス1mgとアモバン7.5mgの半錠のみである。なぜこうなるのかというと、精神科薬物でこの人のようにパーキンソン症状が出るくらいに服用していると、それだけで不眠になるので、眠剤もしっかり飲まないとバランスがとれないのである。だから、精神科薬を減らせば、それに応じて少なめの眠剤で十分になる(ことが多い)。なぜメイラックスかというと、ドグマチールが処方されるような元気がない老人はメイラックスは気のせい?くらいは意欲を出すのと、副作用の少なさによる。複雑な内科&精神科多剤併用が、シンプルな処方にかわったのであった。
この患者さんの現在の処方は、
メイラックス 1㎎
マイスリー 5㎎
ツムラ 7 5g
他降圧剤
であるが、アモバンはその後マイスリーに変更し排尿障害のためツムラ7を併用している。このツムラは向精神薬による副作用止めではなく、独立した薬物治療である。
このおじいちゃんは、以前からインテリっぽい人と思っていた。診察時に「それはオミットしておいてください」などと言ったりするからだ。この年齢(85歳以上)ではちょっと珍しい応対といえる。最近は診察時に最近はどうですか?などと聞くと「相変わらずノーマルです」などと答える。これは別にルー大柴の真似をしているわけではなく、この人の個性だと思っていた。
ある日の診察時、終戦当時の話を聞いてみた。今年は昭和83年に当たるので、彼は大正生まれで戦争に採られる年齢だったからだ。
彼は終戦時、海軍にいたらしい。彼の話によれば、陸軍はがむしゃら、海軍の方がブリティッシュタイプで考え方が近代的だったという。
海軍はフランス式の調練をしていました。
私は海軍の予備学生だった。
予備学生とは士官候補生みたいなものですか?と僕は聞いた。彼はすぐに「それは陸軍式の言い方です」と指摘。予備学生とは、幹部候補生という意味合いはあったようである。彼は当時医学部志望だったという。医師不足のため、戦時中だけ設置された医専に合格したがその後、放棄したらしい。
海軍の話であるが、彼は少々笑いながら、「当時、海軍はさんざんにやられて軍艦は一隻も残っていない。ゼロ戦が主力でした・・」
終戦は鹿児島で迎えた。少尉だったという。当時、鹿児島では海軍は鹿屋、国分などの基地があった。僕は知覧などもありますしね、などというと、すかさず「知覧は陸軍です」と指摘された。そういえば、知覧は特攻の基地ではあったが、調べてみると、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所などと出てくるので確かに海軍ではない。
なぜこのような話になったかというと、この年齢で特に激戦地に行った男性はほとんどの人が長生き出来ていないように思うからだ。例えば陸軍で過酷な環境で戦った兵士は、幸運に生き残ったとしても、この時の身体的な影響のために長生きをされていない。陸軍で特に過酷な戦場で戦った人たちは、やがて、戦場について語れる人がどんどん亡くなっていくと思われる。
先日、レイテ島の守備兵の特集をNHKで観たが、食料がなくなり、トカゲでも蛙でも食べられそうなものは何でも食べたという。それも火を通さずである。アメーバ赤痢が流行り、兵士はそういう病気になると行軍に付いていけなかったらしい。
いつだったか、バフェットとコーラの話をしたときに、アメリカ人は日本人より平均寿命が短いが、とりわけ長生きする人の割合は日本人より多いとう話がコメント欄で出た。これは戦争時の日本とアメリカの状況や当時の食糧事情が大きいと思われる。
とにかく、このおじいちゃんは海軍だったことが、今の健康状態と無関係ではないと思われる。そういう話の文脈で、この海軍の話になったのであった。
彼は僕に問うた。「自分は今後どうなるのか聞きたい」と。どうも彼はこの年齢でも、向精神薬をいつまで飲まないといけないかとか、自分はこれから認知症になるかどうか?が気になるらしい。(参考)
僕は向精神薬自体はたいした量ではないし、止められないとは言わないけど、無理に止める必要はないでしょう。一生飲んだとしても人生は変わらないです。
認知症は、今が何しろこのくらいしっかりしているので、確率的にはかなり大丈夫ではないかと答えた。認知症は遺伝的に出る人たちはこの年齢ではとっくに出ていると思われる。しかし、認知症は老化の一面もあるので、110歳くらいまで生きていたとしたら、物忘れは今よりずっと多いかもしれませんね。
くらいに答えた。
正直、あの年齢で、あのようなやりとりが出来る人は癌にでもならない限り、なかなか死ぬことはないように思うし、ボケるのも容易には想像できない。一方、男性は100歳まで生きる人が極めて少ないのも事実だ。彼はあの年齢で介護保険は非該当なのである。
100歳まで生きられないとしたら、彼はあと20年も生きないということになる。そういうことを思いつつ話をしていた。