大切な人の死

人生で大切な人との最初の別れは

我が母の死去だった。

昭和57年2月18日。

母が53歳と言う若さで亡くなった。




生まれつき「心臓弁膜症」と言う病気で

心臓の弁が一つない、「欠損」。

私が物心ついた頃は、もう入退院を繰り返す日々で、母にとって「死」はかなり身近なことだったに違いない。

それでも、三人の男の子を出産。

後にドクターに「奇跡的」と言わしめた。

昭和50年4月

私がNHKにアナウンサーとして採用されて、

北海道室蘭に赴任することになった時、京都駅に見送りに来た母は、もう生きて会えないと思ったらしく、歩くのも速くないのに、新幹線車内の僕を追いかけて走った!

実はその後も体を引きずるように、父に支えられて、室蘭にもきたし、次の任地山形には、長女櫻子の初参りにもきた。

しかしその後は病状思わしくなく、

私が晴れて東京アナ室に栄転する2年前

命尽きて、旅立った。(昭和57年2月)

母は僕が東京で活躍する姿を知らない。

晴れ姿を見せて、親孝行したかったが叶わなかった❗️

だから僕は今出来る限り京都の母のお墓に行く。

お墓に布団はかけられないと、妻は言うが

せめてもの親孝行のつもり。

そういう意味で、残された生者は無力だなあといつも思う。せいぜい墓参り。

母よ、許せ❗️

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