今日は、奈良の文化を学ぶ
舞台装置のメンテナンスしながら息抜きに読書
中国の中世芸能誌によると「手妻」とは演目の名称だった事がわかりました。中国王朝時代には大々的に大道芸大会みたいな催しが行われた記録も沢山出て来ました。その中の一座の演目香盤の中に手妻がで出来ます。内容は、妻娘が見せる小手先の芸と説明が書かれています。舞台進行の転換の為に入ってたと推測出来ます
この頃から大掛かりな大道芸など用いた舞踊劇、神話や伝説を取り入れた演出劇が行われた仮面劇や人形回しの記録が‥
王朝崩壊の頃に今で言うと船上サーカス、放流民族として日本に流れて来たようです
まだ、日本の文化が追いついていなくて学問や役所もない時代だった事がわります。
遣唐使、遣隋使など国交により爆発的に文化や芸術に革命が起きた奈良の考古学から読み取れます。仏教や信仰により学問や文化国づくりが始まった奈良の文化歴史に今年の秋は触れてみます
江戸の頃には幻術や怪しいげな術を観せることは社会に悪い影響を与えかねないと禁じられた時代や魔女狩り、キリシタン狩りなど処刑拷問の歴史書に書かれてました。なので隠語を用いたり色々な呼び方に変えることで細々と演じられたり、公家や大名など貴族の前で演じられてた時代などの資料も出てきました。
ネット検索では、わからない歴史や都合の良いように解釈され改ざんされた書籍もあるので歴史のすり合わせ大変。