シリーズ第10弾、明治後半の流れをまとめました。
日清・日露戦争と条約改正のところは特に要チェックです!
・1885年(19世紀後半・明治)
内閣制度が創設され、伊藤博文が初代内閣に就任。
→<一夜で運んだ>、内閣制度
・1886年(19世紀後半・明治)
ノルマントン号事件がおこる。
(イギリス人船長の罪状が軽かったため、国民の間で領事裁判権撤廃の声が高まる。)
→<人は歯向かう>、ノルマントン号
・1889年(19世紀後半・明治)
大日本帝国憲法(明治憲法)が発布される。
(君主権の強いドイツのプロイセン憲法を参考にした。天皇=主権者、国民=臣民。)
→<いち早く>作れ、帝国憲法
(基本的人権は法律の範囲内で認められた)
・1890年(19世紀末・明治)
初の衆議院選挙が行われ、第1回帝国議会が開かれる。
(衆議院と貴族院の二院制。同年、学校教育と国民の道徳の基本方針を示す教育勅語を制定。)
→<一夜暮れて>、帝国議会(有権者は、直接国税15円以上を納めた25歳以上の男子のみ)
・1894年(19世紀末・明治)
日清戦争がおこる。
(同年、陸奥宗光が領事裁判権の撤廃に成功する。交渉相手国はイギリス。)
→<一発急所に>、日清戦争(原因は朝鮮で起きた甲午農民戦争。結果は日本が勝利。)
・1895年(19世紀末・明治)
下関条約を結び、台湾・遼東半島・賠償金を得る。
(同年、フランス・ロシア・ドイツによる三国干渉が原因で、遼東半島を清に返還する。)
→<一躍ご機嫌>、下関(今の山口県)
・1899年(19世紀末・明治)
中国で義和団事件がおこる。(~1900年)
→<一夜で括れ>、義和団事件
(外国勢力を排除しようと、扶清滅洋を唱える)
・1901年(20世紀初頭・明治)
北九州の八幡製鉄所が操業を開始する。
(日清戦争で得た賠償金を使用。同年、足尾銅山鉱毒事件で田中正造が天皇に直訴する。)
→<人くれ人を!>、製鉄所
(ロシアとの戦争に備えて武器を製造)
・1902年(20世紀初頭・明治)
日英同盟が結ばれる。
(ロシアの南下政策に対抗するという点で、イギリスと利害が一致したため。)
→<日暮れに>結んだ、日英同盟
・1904年(20世紀初頭・明治)
日露戦争がおこる。(きっかけは三国干渉)
→<行くぜロシアへ>、日露戦争
(与謝野晶子の詩=「君死にたまふことなかれ」)
・1905年(20世紀初頭・明治)
ポーツマス条約が結ばれる。(アメリカが仲介)
(賠償金がもらえなかったため、民衆が暴徒化し日比谷焼き打ち事件が起こる。翌年、小学校の就学率が97%に高まり、義務教育の年限が6年に延長。また、鉄道が国有化される。)
→<ひどく怒った>、ポーツマス
(日本は樺太の南半分を得て伊藤博文が統監府を置く)
・1910年(20世紀前半・明治)
韓国を併合し朝鮮に改名。(日本は韓国を植民地化し、朝鮮総督府を置く。同年、社会主義者の幸徳秋水らが一斉に処刑される大逆事件が起こる。)
→<ひどく異例な>、韓国併合
(前年、伊藤博文がハルビン駅で安重根に射殺される)
・1911年(20世紀前半・明治)
小村寿太郎が関税自主権の回復に成功する。
(同年、中国で三民主義を唱えた孫文が辛亥革命を起こし清が滅亡。日本国内では工場法を公布。)
→<低い位置>から、条約改正
(交渉相手国はアメリカ)