ちょっとだけよ♥大河ドラマ風昔の話
天海と二人の明智光秀-天照空界-第931話
(十月十日、水曜日分)
秀忠の死後、すっかり大人しくなったお江も逝った。
忠長は、大きな後ろ盾を相次いで失った。
そんな折、家光は重病に陥った。
世間は、この機に忠長を支持する大名たちが、反乱を
起こすと言う噂が飛び交うようになっていた。
一方、忠長は改心したかのように秀忠を供養する寺を建立。
忠長は、領地も没収(改易)され罪人扱いになり逼塞(ひっそく)。
昼間の出入り禁止つきの謹慎を命じられていた。
当然、秀忠が亡くなるときでさえ、江戸に入ることを
許されなかった。その思いからの建立だった。
しかし、世間は、以前の行いから、免責狙いの行いと
囚われて、機会あらば、忠長復帰、の風潮が流れていた。
俄かに幕府を取り巻く風がきな臭さを帯び始めていた。
危機感を抱いた家光は、病気回復を待って、
忠長を安藤重長の領地上野高崎に移した。
そこへ、阿部重次を派遣して自害を命じた。
自害の場所は、高崎の大進寺だった。
<参考文献>山本博文『寛永時代』
家光は、病床にありながら、その先を案じて、天海の配下に
保科正之を調べさせていた。
その報告には、領民からも慕われ、自らが将軍の弟であることを
殆ど態度に表さない人物だと記されていた。
家光は、正之の人格を認め、正之26歳にして
最上山形二十万石を与えることにした。
高遠から多くの家臣を連れて山形へ移り住んだ。
自業自得とは言え忠長に自害を命じた家光の心は荒んだ。
その心痛を抑える良薬こそが、保科正之だった。
これを機に正之の政治家としての本領発揮となる。
高遠の保科家の重臣たちが手足となって正之を助けた。
手がけたのは、洪水や凶作などで苦しむ領民を救うことだった。
区画整理を行うことで、幕政に参画するようになった。
後に家光のもと、金地院崇伝が世に送り出した
武家諸法度改定に一役を担うようになる。
それは、幕政のあり方を教授された崇伝の意志を
継ぐものでもあった。
天海の思い描く幕政が日の目を見るように育っていた。
「後は、世継ぎのことか・・・」
と、曇天を恨めしそうに眺めていた。
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