授業を終えた上田と打ち合わせをしていたら21時30分をまわって、京阪の駅へ向かうバスはなくなった。って、そんな早い時間にバスが無くなるなんてどんな田舎やねんと(都会の人たちは)思うかも知れないが、近年、界隈を走るバスの本数がどんどん減っている(終バスも早くなっている)のである。
地下鉄の醍醐駅まで歩くという上田に、
「俺も駅の近くのコンビニで公共料金払うから一緒に駅まで歩こう」
と言った。
「はい」
上田と並んで、外へ出た。
このあたりは、20時を回ると、歩いている人がほとんどいない。車とバイクは走っているが、道が空いているからか、明らかに速度オーバーしている者も少なくない。風が微かに冷たい。黒い空には、いくつかの星が明滅していた。田舎なので、空気はそれなりに澄んでいるから、星々はきれいに映るんだ。
歩きながら、
「どう、大学は?」
と訊いた。
「はい。充実してます」
そう応えた上田は(今は講師のひとりだが、かつては)うちの生徒だった。三年前の桜の季節は「ラストイヤー(二浪)」にかける受験生だった。四年前の今頃、うちへ入塾してきた。つまり、うちで二年学んで大学生になった。担当したのは山本源(京大大学院)、成瀬(当時・京大大学院)、西川(神戸大医学部)の三人だ。ちなみに五年前の今頃は、大阪の公立高校を中退して転校した通信制高校にも通えず(後にその通信制も中退)、ひねもす布団の中で過ごし、やることと言えばゲームくらいなもので、
「僕の人生については諦めてほしい」
などという絶望的な台詞を吐いて、母親を泣かせていた。

それが今では「充実してます」である。

「いいねぇ」

素直にそう思った。この仕事をやっていて間違いなくいちばんの歓びは元気な卒業生を見ることだ。

彼の学生生活が充実していることは、彼の表情を見たら、わかる。精気が漲っているからだ。現実に満足している若者だけが発することを許される英気のようなものを今の上田は発散している。

「いい場所にいるな、って思えるんです」
「いいねぇ」
僕は彼の語りを聴きながら、同じことしか言えない。
「第一志望ではなかったけど、本当に京産で良かったって思えるんです」
「うんうん」
「いい友達がいて、部活が愉しくて」
「うんうん」
「今年は就職活動もあるからたいへんですけど」
「うん」
「たいへんですけど、でも本当にすべてが愉しいんです」
上田の横顔を見た。彼は柔らかい笑みを湛えて、双眸はまっすぐ前を向いていた。
「あのさ、今あなたが俺に聞かせてくれたような話をさ、あなたはお母さんにする?」

上田のお母さんはシングルだ。詳述はしないが、たいへんな仕事をなさっている。というか、今のご時世、たいへんじゃないお母さん(お父さん)なんて、稀有だろうけど。

「しません」
即答して上田が笑った。そんなのするわけないじゃないですか、と彼の目は言っていた。
「機会があったら、してあげな。きっとさ、お母さん、頑張ってよかったと思うはずだよ?」
「そんなもんですか?」
「俺は親になったことがないからわからんけどさ、でも、頑張ってよかった、って思うよ、きっと。明日も頑張るぞ、ってエナジーが湧いてくるんちゃうかな」

少なくとも、である。我が子に「大学生活、つまらん。もっと行きたい大学あったのに」などとほざかれるよりは51億倍くらい、あなたのお母さんはしあわせなんじゃないか。僕はそう言い足した。上田はニコニコと笑っていた。


駅が近づいてきた。醍醐駅近くの遊歩道。両サイドと前方には、集合住宅が幾棟も並んでいる。まだ22時前だから、たくさんの部屋にはオレンジ色や白の灯りが点っていた。電気が消えている部屋ももちろんある。もしかしたら、暗い部屋で五年前の上田のように布団にくるまって、己の未来に絶望している不登校児もいるのかも知れない……と考えたのは職業病ってやつか。


上田を地下の改札まで送った。
「お疲れ様でした」
と上田が言って微笑む。
「お疲れ様」
言って、彼と別れ、逆側の出口から再び地上へ出て、目当てのコンビニへ。
僕の前に並んでいたビジネスパーソン風の若い女性はカゴに缶ハイボールを一本とサラダらしきものを入れていた。その一人前の僕と同世代と思しき中年男は日刊ゲンダイと缶ビールを両手にぶら下げている。
僕はトートバックから電気代の振込票を取り出し、やがて順番が回ってきて、それを払いおえると、何も買わずに店を出た。駐車場の真上には、月ひとしずく。