部員ブログ「この退屈な人生を、サッカーを、思考する」 | 京都大学サッカー部スタッフブログ

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いつしか純粋にサッカーを楽しむことができなくなっていた。気づけばサッカーへの原動力は義務感、承認欲、打算でしかなくなっていた。

 

子供の頃、ボールを蹴ることに意味なんていらなかった。毎日放課後に公園へ集まり、雨が降ろうと真夏の太陽が照りつけようとも、友達とボールを蹴り続けた。泥だらけに服を汚したまま、毎日門限ぎりぎりに家に駆け込んだ。上手いとか下手とか関係なく、やりたい奴だけが集まり、ただただ楽しくてボールを蹴った。

 

ただ目の前の相手に勝ちたいから、仲間と喜びたいから必死にボールを追いかけた。自分の能力の限界なんて考えにも及ばず、夢を信じて努力を続けた。体力は限界を超え、どれだけ息を切らしていたとしても、サッカーをしている瞬間においては、心に苦しみはなかった。




いつしか、走ることに苦しみを覚えはじめた。勝たなければならない義務感からボールを追うようになっていた。

自分は下手だからその分走らなければならない。ミスしてはいけないから集中する。

筋肉の限界を少しでも超えれば怪我をする老体を気遣い、ボールを追いかける最中にすら打算が働く。練習を終えた重苦しい疲労感のまま、ライトに照らされた味気ない人工の芝を後にして、見た目はきれいなままの練習着で帰途につく。

泥だらけになるまで、足が動かなくなるまでボールを蹴っていた無心の快感はいつのまにか忘れてしまっていた。



20歳になった今、世の中の多くのしがらみにがんじがらめになってしまう自分を感じてしまう。何のために生き、何を目指して生きていけばよいのかわからなくなる。

自分を見失うまでに至った原因は何なのか。毎日のように自問自答してしまう。

 

その原因を、自分の生きるこの現代にしてしまうのは逃避なのだろうか。

現代において、多くの人がスマートフォンから目を離すことができない状況にある。Instagramやtwitterが人間を支配し始め、人間本来が持つ欲求すらも抑え込まれる。

美しい景色を見たとき、その感動に浸るのもそこそこに、スマホを取り出しなんとしても写真に収めようと躍起になる。

真においしいものを求めるわけでもなく、携帯上の画面映えのためだけに食事に向かう。食欲によってではなく承認欲によって食を行う時代である。

フォロワーの数が心の安定をもたらし、見知らぬ人間からのいいねの数に心を躍らせる。

なによりも承認欲求が一番になってしまっているこの現代において、自分の中に持つ絶対的価値を保ち続けることは本当に難しい時代になっている。

 

今このブログを書いている最中でさえ、純粋な創作意欲ではなく、義務感と承認欲求が多くを占めてしまっている気がしてならない。

 

大学生活だってそうである。あれほどまでに憧れた、日本最高峰の知を誇る京都大学に入学し三年目、純粋な知識欲は薄れてしまった。国民の税金の多くを使い、ノーベル賞級の教授を前にしているにも関わらず、恐ろしく大きな眠気が襲う。

出席のために大学へ通い、単位を求めてレジュメを丸暗記する。

今や大学という最高教育機関でさえ、そこに通う自分にとっては、自らの知を獲得する教育機関ではなく、他者からの評価を獲得する学歴取得機関としての存在価値に成り下がっている。



あなたは今、自分自身を生きていますか?

他者との比較としてではなく、今に絶対的な価値をもって生きていますか?

絶対的な生をみつけること。もしかしたら、人間は、それを一生かけて探し続けるのかもしれない。一生の内に見つけることのできる人はほんの一握りなのかもしれない。それとも人は、知らず知らずの内にどこかにすでに見つけているのかもしれない。

 

自分はまだ大人としての人生を始めたばかりである。本当は他者への忖度を行いながら、他者からの評価に揺れながら生きること、これこそが大人になるということなのかもしれない。そこに絶望なんてしてはいけないのかもしれない。それでも自分は、自分の納得できる答えを探し続けようと思っている。

 

小さい頃からボールを蹴り続けてきた自分にとって、失ってしまった純粋なワクワク感を思い出すことのできる場所は、やはりピッチの上だろうと思っている。

自分の忘れてしまったもの。仲間の多くはピッチの上で既に見つけており、ある人は「アツさ」と、またある人は「ファンタジー」と表現する。

サッカーに本気で打ち込むことのできる期間はあと一年半。サッカーに対する純粋な悦びを再び思い出すことが、自分の人生を左右する大きな転機になると思っている。

 

そしてその悦びを再び見つけることができた時、今まさに探し続けている答えの一端を感じることができるのではないかと期待している。

そういう期待を持ち続けている点において、まだぎりぎりのところで、純粋な人間らしさを保てている気がする。


もしかしたらそれは最後まで見つからないかもしれない。だけどもし、ほんの少しでも可能性があるのなら、探してみる価値はあるはずだと信じている。

そんな些細で漠然としたもののためだけに、今日もまたグランドへ足を運び、ボールを追いかけ、がむしゃらに走り、人生の答えを探し続ける。



3回生プレーヤー 清島敦洋