kyoritsu-utsunomiyaのブログ

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今回の美容外科学会は新潟です。

学会のスタートは13時、折角なので朝早起きして午前中は観光するスケジュールを立てました。。

目的地は新潟県長岡市、見所満載の歴史ある街です。

東京駅発7:00のMAXとき号で出発、かなり眠いです。

約1時間半で長岡駅に到着、人口30万近い新潟県第2の都市です。

駅構内には早速、お目当ての山本五十六が出ている掲示板がありました。

長岡は夏場の花火大会でも有名だそうです(僕は知りませんでしたが)。花火大会で使用する花火玉が展示されていました


花火玉の中身は複雑系です。誰が考えたの?

 

長岡駅を背にして歩いて向かったのは新潟県立長岡高校です。卒業生でもないのに誰か知り合いでもいるの?ですよね。
知り合いはもちろんいませんが、名門長岡高校の卒業生は蒼々たるメンバーです。
山本五十六を始め、詩人の堀口大學氏、作家で大好きな半藤一利氏や元NHKニュースキャスターでジャーナリストの櫻井よしこ氏(最近はかなりRightWingな印象ですが)、元日本テレビアナウンサーの松永二三男氏、女優の星野知子氏、などを輩出しています。
僕の出身高校と同じく理数科も併設されており、どのような高校なのかとても興味があったので見に行きました。

駅を背にして長岡高校に向う途中、右手の茶色い建物はホテルニューオータニです

新潟のナンバーバンクは第四銀行です 。「だいしぎんこう」と呼びます。現存するナンバーバンクの中では最古なのだそう。ちなみに第一銀行は現在のみずほ銀行になり、第二銀行は横浜銀行になり、第三銀行は設立されていませんので、新潟の第四銀行が最も古い国立銀行の系譜になります。

長岡高校の正門前にて(自撮りです) 。正門はレンガ造りでしたが、おそらく校舎は建て替えられていて今風でした。長岡駅から歩いて10分かかりません

長岡高校には小さな天文台が設置されていました。探究心に富んだ生徒が輩出される一端を垣間みました。

長岡高校の住所はその名も「学校町」でした

長岡高校の卒業生の資料も展示されている「和同会館」は平日のみの開館でした。折角訪れたのに残念です。

長岡市内の歩道は赤い敷石(鉱物系?)でした。アスファルトではありません。

街中を流れる川と両側の桜並木、地方都市の風情が感じられます。

駅から長岡高校までの通学路途中には東進ハイスクールの衛星予備校がありました。勉学に熱心な風土を感じました。

今春の合格者が掲示されていました。

長岡高校を見学した後は駅まで戻り、駅の反対側の長岡城跡に向かいました。
もちろん長岡は城下町でしたが、戊辰戦争で城跡は殆ど残っていませんでした。僅かに二の丸跡、本丸跡という石碑が建っているだけです。

この辺りで148年前に戊辰戦争が行われていたかと思っても想像もつきません。

元和3年は1617年、徳川幕府になってから14年目に築城されたことになります。250年の歴史があった長岡城も戊辰戦争で焼け落ち、明治になって廃城となってしまい、現在は城趾の石碑のみ。

二の丸跡の石碑

本丸跡の石碑

城跡にあったガマの賽銭箱はユーモラスでした

ここは「アオーレ長岡」、市役所とアリーナ(バスケットボールのプロチーム新潟アビレックスのホームコートでもあります)と屋根付き広場「ナカドマ」の複合施設で長岡市民の憩いの場となっています。ちなみに「ナカドマ」とは「中に位置する土間」という意味だそうです。

山本五十六記念館は一見、民家のようです。ワンフロアで広くありません。

 

駅から歩いて10分かからない山本五十六記念館。今回の長岡行きの一番の目的地です。山本五十六氏は駐アメリカ日本大使館付きの武官として滞米期間が長く、ハーバード大学にも留学していたと知って驚きでした。かなりのアメリカ通だったのですね。

山本五十六氏は明治17年、長岡の士族の家に生まれています。長岡高校(当時は長岡中学)を卒業後は東京に上京して上野の図書館で読書三昧が出来たならばどんなにか楽しいでしょう、と東京で歯科医となっている兄に宛てた手紙の中で書き記しています。

しかし、時代の流れで文学を志す事は叶わず、明治34年海軍兵学校に入学して海軍軍人一筋の人生を全うします。

山本五十六氏の人生を見ていると「坂の上の雲」の秋山真之を思い起こさずにはいられません。

伊予松山で同級生の正岡子規と一緒に東京帝大文科に入学しよう、と約束して上京したにも関わらず秋山真之は経済的理由から明治19年に海軍兵学校に入学して海軍軍人の道を選びます。東京で既に陸軍軍人として活躍している兄、秋山好古からの援助で学費をまかなっていた手前、文学を志すとは言えない状況にあったのです。

その甲斐あって、ロシア海軍との日本海海戦では目覚ましい戦果をあげます。日本海海戦には山本五十六氏も参戦しているので、海軍兵学校の15年先輩の海軍参謀秋山真之を当然知っていた事と思います。

山本五十六氏の生家の写真を見ましたが、お世辞にも立派な家屋ではなく図書館で読書三昧などと言える環境になかったのでしょう。

欧米列強の植民地にはなるまい、富国強兵を進めなければ日本の未来はない、という明治期の日本人の切迫感、悲壮感がひしひしと伝わってくる山本五十六記念館でした。

「常在戦場」「やってみせ 説いて聞かせて やらせてみ 讃めてやらねば 人は動かぬ」、山本五十六氏のこの2つの言葉が印象に残りました。 

涙もろい僕は感銘と感動 で涙が止まりませんでした。

山本五十六氏が夜店の植木屋で買い求めた唐カエデ。東京青山の自宅に植えてあったものですが、自宅周辺の再開発により、遺族が記念館に寄贈したものだそうです。樹齢80年以上、ご主人の生まれ故郷に根付いています。

河井継之助記念館は2階建て、ビデオ上映もありました。

 

幕末の偉人、河井継之助記念館も大変興味があったので長岡観光ではマストです。

戊辰戦争で官軍と戦い破れて、その時の負傷が元で会津に逃げ落ちる途中で命を落としました。享年42歳でした。

江戸の佐久間象山の門下生であり、西国へも遊学して人脈、見聞を広めた武士でした。軍備にも詳しく、フランス式兵制を導入して藩内に兵学所を建設し、当時最先端の「ミニエー銃」や「ガトリング砲」をお金を惜しまずに横浜で購入しています。

非常に合理的な考え方の武士だったようで「武装中立」という立場をとっていましたが、反幕府の官軍方との「小千谷会談」が決裂した後は、最後は徳川幕府開府以来の主従関係を重視して、幕府側に身を投じました。

戊辰戦争や明治維新前後の動乱期にはこのようにして命を無くした逸材が多くいたと思われます。このような内戦や薩長VS幕府などの対立がなかったとしたら、明治期の日本はもっと発展していたかもしれません。

長岡戦災資料館はたまたま通りかかったのですが、結構面白かったです。お勧めです。

 

太平洋戦争末期の長岡空襲を中心に展示されている長岡戦災資料館は入場無料でした。

長岡大空襲は8月1日の夜間から2日の未明にかけて行われ、1500名近い死傷者が出ました。

広島の原爆と違って、防空壕に隠れていた市民ほど被害が大きかったと聞きました。長岡の防空壕は広さも設備もお粗末なものだったようです。

長岡には1945年7月に原子爆弾のダミーが落とされていました。ダミーの形はいわゆる「ファットマン」型ですが中身は通常の爆薬だったそうで「パンプキン爆弾」と呼ばれていたそうです。全く知りませんでした。

パンプキン爆弾は重量、形態をファットマンと全く同一にされており、ダミーを落下させる事によって、その落下データを収集して本物の原子爆弾投下の際に役立てていたようです。

このダミーのパンプキン爆弾は長岡以外にも30都市、50発が投下されたという記録が残っているそうです。アメリカ軍の物量作戦も用意周到といったところです。

実は長岡よりも大都市の新潟は空襲を殆ど受けていません。理由は原子爆弾の投下候補地だったからです。

生憎というか、幸いというか、8月6日当日は新潟は天候が悪く原爆の投下候補地から外されました。

焼夷弾の実物も展示されており、実際に手に持ってみる事が出来ます。想像よりも重量感ありました。

市井の市民の空襲体験、戦争の悲惨さを知る上では重要な記念館でした。

JR長岡駅は雪国らしく全ての通路に屋根がありました

観光に忙しく、昼ご飯を食べる時間がなかったので駅構内のパン屋さんVieDEFranceで買い求めたクリームあんぱんには長岡の「長」の字が焼き印されていました。長岡店オリジナル?

今回で126回です。秋には京都で総会が開催されます。国際美容外科学会も一連のスケジュールで開催されます。今回のシンポジウムのテーマは「眼瞼下垂」、原則保険診療の疾患ですが、自費診療で行う場合もあります。

学会場の朱鷺メッセの懇親会場から見た新潟市内。海と川で挟まれた地域が市街地になっているのが分かります。津波が来たらひとたまりもありませんね。

フェリーターミナルは直ぐ目の前です。ここから佐渡島などへフェリーやジェットフォイルが発着します。

懇親会で食べたお寿司。江戸前でした。

懇親会は日本酒のメッカ、新潟という事もあり各酒造会社の協賛で日本酒飲み放題でした。中には1本1万円を超える大吟醸もあったようです。乾杯もビールグラスではなく、日本酒を杯です。大阪の衣笠先生と医局の先輩の征矢野先生。

仙台で開業している依田先生とは広告代理店が一緒の縁で仲良くなりました。人脈も学会に参加して得られる事の1つです。

銅製の酒器の展示販売も行われていました。試しに銅製の杯で飲んでみると、明らかに日本酒がまろやかな味わいに変わっていました。銅イオンの成せる技?でしょうか。銅が溶け出していると思うと少し変な気持ち。

懇親会では話してばかりで、食べ物をあまり取らなかったのでお腹が少し空いていました。ホテルにチェックインしてから新潟駅前にある須坂屋という「へぎ蕎麦」のお店に行きました。ビールは地元新潟製のキリン一番搾り。

これで1.5人前です。喉越し良くてするっと食べられます。

 

へぎ蕎麦は元々は新潟県内でも十日町や小千谷地方の郷土料理です。そば粉のつなぎに小麦粉ではなく海藻の「ふのり」を入れて作るのが特徴です。喉ごしは良いのですが、蕎麦らしい香りやざらざら感はありません。

なぜ、山奥の十日町に海藻のふのりなの?と思いますよね。調べてみたら織物の糊付に使うのがふのりだったそうです。そのふのりを蕎麦のつなぎに流用していたという訳です。ちなみにふのりは「布海苔」と書くそうです。新潟の小千谷織りは有名です。

お腹も一杯、勉強にもなりました。

これからホテルに戻って、天然温泉に入ります。

最近よく利用するビジネスホテル「ドーミーイン」です。ここの特徴は温泉が付いていること、特に新潟は大浴場が広々で露天風呂もあります。

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