Civaオフィシャルブログ「極天論」 -330ページ目

微糖への想い

それまでの私は、眠りの妨げになるカフェインの入った飲料は飲まず、アントンマテ茶を飲用していた。


たまに飲むコーヒーは、美味しくなければ気がすまない。よって大量の砂糖を溶かし込んでいた。


しかしだ。

最近では逆に、睡眠を抑える為に常時コーヒーを飲んでいる。


砂糖の多い奴を飲み過ぎるとブクブクエコロブーになってしまうので、自然と微糖に手を出す様になる。

こうしていつかはブラックにも手を出してしまうのだろう。



その時、ブラックが似合う渋い男になって居なければ、誰でもいい。俺をぶん殴ってくれ。


ゴボウかなんかで。

さーてぃ

私の通学路の途中に、「さーてぃ」と言う店がある。

30の意味を持つその店は、どうやらバーのようである。



しかしその字体から、毎度「さーてい」と読んでしまう。

そして、「さーてい」の意味を考える度に、織田無道の掛け声が浮かぶ。


うーん。エキゾチックやな。

降りてくる

よく漫画で「歌詞が降りてくる」と表現される事があるが、あながち間違っても無いかなと思う。

俺的には、正確には歌詞ではなく「風景」が降りてくると言うかふと浮かぶ。

これは多分誰にでもあるものじゃないだろうか。


浮かぶ風景と言うのは、俺の場合大抵切なくて悲しくてって感じではある。

問題は、浮かんだ瞬間にそれを言葉に出来るか否か。


運良く一連の言葉に書き留める事が出来たら、それは曲になる。
が、大体は言葉に出来ずイメージは消えていく。



例えば、さっきふと「鼻に管を通して暗い病室で目を覚ました男の子」のイメージが沸いた。

背景は、今までの楽しかった事や苦しかった事、恋人や家族、人生が実は全部見せられてた夢で、目を覚ましたらそこは独りぼっちの別世界だった、みたいな。


ここまで浮かんでても、それを一番良い言葉に変換出来なかったから、流れて行ってしまうわけだ。

こんな事の繰り返しで曲は生まれてくるわけざんす。

考える事

考える事を拒否した人間は、もはや人間ではないと俺は思う。

世の中には、幼い頃から外国の地雷問題に取り組んだり、障害者問題を考えたりしている人も居る。

しかし圧倒的多数の人間が、「目的」を見失って、適当な夢を語って、手軽に得る事が出来る快楽に逃げている。



生命の事、戦争の事、外国の事、人間の事。

「重い」と言われて、避けられる事自体に問題がある。
本当は、全然重く無いし、自然と頭に浮かんで考えてしまうのは至極当然の事なのに。


教える側の力不足もある。
伝える側の腐敗に原因もある。


圧倒的な力が欲しい。

今からスタジオ

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今から世界13のスタジオです。
この100円コーヒー、実は毎日飲んでるんだけど、飽きた。