近況あれこれ | 独り言ちの山暦

独り言ちの山暦

「風の又三郎、又三郎、早く此さ飛んで来!」「この頂で赤道から北極までの大循環の自慢話を聴かせてくれ。」

 

 

2022・5.12。

GWも過ぎ去った。今年は昨年とは違って我が家も

賑やかなGWであった。コロナの収束は見通せない

が慣れとは恐ろしいものだ。旭川市では未だ200

人を超える新規感染者が出ているがそれ程に驚き

恐怖感に苛まれることは無くなったような気がする。

 そんな状況下、孫たちがやってきた。

まだ山に連れていくには季節が早い。

かと言ってここへ、とお勧めの場所も

見当たらない。

とりあわせに近場の美瑛へ。

遊具もなく子供が楽しむには物足りないだろう、と

思ったが。存外、孫たちは楽しかったようだ。

動物と触れ合う孫の姿をみながら吉本隆明氏の本(真贋)の

一説を思い出していた。

「では、いい生き方は何かと問われれば、僕はこう考えます。

自分が持って生まれた運命や宿命というものがあるとすると

すれば、それに素直生きていくことではないかと。

では運命や宿命とは何かと言われれば、主としてその人と

母親との関係で形成されたものだと思うのです。それに忠実

に生きていく以外に、いい生き方ってないのではないでしょうか」

「その人の性格をつくる上では、母親か、母親の代理

の人からお乳をもらっている時期が、もっとも重要だと

思います。

育ちの悪さというものは、家庭の経済力に関係したも

のでなく、母親による乳児のときからの扱い方で決まる

ものだと思うのです」「せめて子供にとっての肝腎な時

期、つまり乳幼児期と前思春期直前の時期だけは、じっ

くりと向き合ってくださるのが良いのではないでしょうか」

我が娘の子育てを見ていると

ち ょっと甘やかし過ぎでないか、と思うこともある

が、それでもじっくりと子と向き合い愛情を一杯

注いでいる姿は「いい育てかたなのだ」と首肯する。

 

そうして形成された運命や宿命を、孫たちには

 素直に精一杯に生きて欲しいと願った。

一方、切ないことにも出会った。

多分、同い年である古い知人のことだ。

母親の介護も終わり前々から勉強していた

中小企業診断士の試験を受け一次試験は

昨年8月に合格。さあ二次試験を今年と思っ

ていた矢先の4月に癌に斃れた。

資格取得の動機は「田舎は貧しい。貧しい上に

格差の拡大、差別等数え上げれば切りがない。

そんな世界に小さな風穴を開けることできれば」

との思いからだったようだ。

何時になっても変わらない真摯なひた向きな生

き方には学ぶことが多い。

翻って自分。運命や宿命を生きようとも、まだ頑張

れる、いや前を向いて生きなければならない、との

思いを強くしたGW。