おはようございます
今日は、風もあり寒く感じます。
今日は、メルマガ「人の心に灯をともす」より。。。
渡辺和子氏の心に響くお言葉より。。。どうぞ聞いて下さい。
最近出合った言葉の一つで、深く心に残ったものがあります。
「私から年齢を奪わないでください。これは、私が年月をかけて
つくった財産なのですから」
こういう、すてきな言葉が出せる人になりたい、また、こういう
ことがいえるような歳の採り方をしたいものだと、つくづく
思ったことでした。
私自身も、実は、かつて次のようなことをメモに書いています。
「時間が、どうしようもなく過ぎた後に、;老い;だけが残る
というような生き方はしたくない」
どんな時に、何がきっかけとなって、こんなことをメモしたのか、
今では憶えていませんが、冒頭の言葉が心に残ったのは、この二つ
のセンテンスの間に、何か共通する思いがあるからなのでしょう。
;財産;とみなし、いとおしく思えるような命の過ごし方というのは、
決して不幸や苦しみと無縁の人生を指すのではなく、人生で出合う
一つひとつのことを、ていねいに、自分らしく受け止め、自分の
;もの;としてゆく生き方のことだと思うのです。
ミヒャエル・エンデは『モモ』という本の中で
「人間は、自分の時間をどうするか、自分で決めないといけない」
といっています。
かくて私たちは一生の終わりに、
「何と私の人生はつまらないものだったか」と不平を言う権利を
持っていないことになります。
なぜなら、人生をつまらないものにしたのも、意味あるものにしたのも、
すべて、自分の責任だったからなのです。
「時は金なり」というほどに、時間には、お金を生み出す時間もあれば、
お金に換算できる時間もあります。
このような時間も重要ですが、真に「私の財産」と呼ぶことができる
時間は、自分の魂を豊かにするものであり、永遠の世界につながるもの
を指すものではないかと思うのです。
なぜなら、「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなくて、
我々が与えたものである」からなのです。
私たちは、「ただ老いる」だけの日々を送りたくないものです。
「ただ働く」だけの日々でもなく、生活の随所に愛をこめ、
意味を見出し、自分しか作ることのできない、;財産;としての毎日を
過ごしたいと願っています。
『目に見えないけれど大切なもの』PHP文庫
我々が今まで過ごした年月を、「財産」とするのか「つまらない時間」と
するのかは、すべて自分にかかっている。
人や環境のせいにはできない。
それは、自分が選択した、たった一度の人生だからだ。
森信三師のいう「人生二度なし」だ。
そして、その証(あかし)は、人に与えたものによってはかられる。
なぜなら、自分がきずいた財産も、肩書も、役職も、あの世へは
もっていけないからだ。
この世に残せる唯一のもの、それが「人に与えたもの」。
楽しかったこと、うれしかったこと、幸せ、感謝、あるいは、
悲しみやうらみ、といった人に与えた思い出だけが残る。
だからこそ、「悲しみ」ではなく、「喜び」や「感謝」などの
良き思い出を人の心に残すことが、我々の日々のつとめであり、
なすべきことといえる。
財産としての年月になるよう。。。
日々、悔いのない人生をおくりましょう。
皆さん、病気や災害に負けないで
今日も笑顔100万tで、GOGOHAPPINESS