父の命日を覚えられない | エグゼクティブ・コーチ 和気香子

エグゼクティブ・コーチ 和気香子

普段の思考パターンではどうしても出てこないことが、ふとした瞬間に閃くことがあります。
そんな状態を意図的に作り出して、色んな気づきを得てもらうことで将来の夢・ビジョンを明確にしたり、課題解決のためのヒントを見つけるお手伝いをするのが私のコーチングです。

こんにちは。
イキイキとした毎日を送るためのサポートをする月香です。

20年以上前の3月、父が亡くなりました。
でも、何日だったかが思い出せません。
母が何度か教えてくれたのですが、忘れてしまいます。

父が亡くなったのは、48歳、私もまだまだ親への依存度が高い頃でした。
死んだことを頭では理解しながらも、認めたくない気持ちが強く、葬式や法事など絶対に必要な時以外には墓参りをすることが出来ませんでした。

お盆休みやお彼岸に帰郷しても、実家から徒歩5分のお墓に行くことが出来なかったのです。
墓参り = 父の死を受け入れることだったのです。

父がただ、長い旅に出ているだけのような感覚で捉えてました。
いつかまた、「ちっと、茶あ、煎れてくれや」と中年の男には相応しくない無邪気な笑顔を見せてくれるような気がしていました。

流石に20年も経つと、父は帰らない旅に出たのだと心でも納得するようになりました。
お墓にも行くようになったし、仏壇に線香をあげるようにもなりました。

でも、まだ命日が覚えられません。
私の心は、父の死を完全に受け入れることを拒んでいるのでしょうか?

父の誕生日は覚えているのに。。。

今ならば、訣別のワークというセッションを行い、もっと早く父の死を受け入れることでしょう。
だって、"父が居ない"ことによる虚しさを6、7年も感じていたのですから。

当時はそんなことが出来ると知りませんでした。
一方で、20年が過ぎ、辛くはなくなった今、命日を覚えられないままでいたい気もします。

近しい人やペットの死、恋人との別れ、女性ならば子宮の喪失、退職などによるキャリアの喪失など、人生には沢山の"別れ"があります。

時が経過しても、悲しくて、辛くて、苦しくて仕方がないようだったら、訣別のワークを受けると良いかもしれません。

なんか、しんみりしてしまいました。
もしかしたら、今日が命日なのかもしれませんね。
だから、こんな記事を書いたのでしょうか。

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