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富士山へ、雪上訓練に行った。
この写真↑は、五合目の佐藤小屋から少し行ったところ、から。
二人の登山者が歩いてくる。
この人達は、頂上まで行ったらしい。
山小屋は、佐藤小屋。
佐藤小屋は、暖かかった。

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佐藤小屋を出た辺りは、風が強く寒かったが、風がさえぎられるところがあり、そこで訓練をした。
上の方は、ときおり、風が舞う。

ちょうど、厳冬期の富士山を撮影に来ていたNHKの取材班と一緒だった。
番組宣伝? 土曜日の午後11時からの「ワンダーワンダー」だそうだ。

1月31日
雨のち曇り
富士吉田駅 車で → 中ノ茶屋(約1100m) 10:00 → 馬返 12:00 → 1合目 → 2合目 → 3合目(1480m) → 4合目 → 5合目 佐藤小屋(約2220m)泊 16:00

行動時間:6時間
標高差:1100m

2月1日 
晴れ
佐藤小屋 8:30 → 雪訓 → 佐藤小屋 12:00戻り 13:00出 → 馬返 14:15(10分休憩) → 中ノ茶屋 15:00 → 風呂 → 食事

雪上訓練:3時間
下山:2時間




1月31日

イメージ 3 中ノ茶屋 10:00 1100m

関東では、前日、雨だった。

中ノ茶屋から、車でゆるやかな登りの林道を行くが、明日の下山時、下りの車道が凍っていると、危険ということで、途中で引き返し、中ノ茶屋に車を置いて、歩いていくことにした。

12月にも、雪訓に来た先輩は、この辺りは雪はなかったと言っていた。

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11:45 馬返(うまかえし)

凍った林道を、ずっと、歩いて行くと、後ろから、ワゴン車が2台来た。

窓が開いて、「あつし~」と、ガイドさんの名前を呼ぶ。

NHKの取材班と、佐藤小屋の佐藤さんご夫婦が乗っていた。

ガイドさんは、8000m級 7座サミッターであり、NHKの取材にも何度か協力しているので、皆、知り合いばかりだった。

「車に乗せてよ~」と、5人、乗せてもらったが、馬返しは、数分のところだった。

馬返しの名の由来は、ここからは、馬では通れない険しい山道なので、馬を返したところから。

イメージ 5 馬返しの駐車場。NHKの取材班。随分の人数だ。

イメージ 6 食糧や、カメラの、大きな荷物を背負って。

上智大学の山岳部のアルバイト君。

いつも、テレビを見ていて思う事は、すごい山に登っている登山家よりも、重いカメラをかつぎながらそれを撮っている、カメラマンの方がすごい、と。

NHKは、山岳枠(!)の就職口があるそうだ。

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一合目から、歩くのは初めてだ。

イメージ 8 13:50

三合目。1480m。

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16:00 佐藤小屋
すっかり、雪に埋まっている。

登る道で、12月の雪訓時に、佐藤小屋のストーブの煙突を両手で抱えて、火傷をした仲間の話をずっと聞きながら、登った。

なのに、小屋に入って、ホッとして、自然に薪ストーブの方に寄って行ってしまった。
ザックカバーなどを干し、ストックもそばに置き、ちょっと、背伸びをして、手袋を干したら、バランスを崩し、ストーブの煙突に思わず触ってしまった。
左手の親指、人差し指、中指の先を火傷してしまった。

私の失敗は、いつも、ストーブ!

吹雪の仙丈岳での長衛荘のストーブで、ズボンを焦がした事。

白馬鑓が岳でも、ストーブで、靴を焦がした。

今回は、ストックも、熱で溶けてしまった。

かなり強力な佐藤小屋の薪ストーブだ。

ちなみに、12月の時は、かなりひどい火傷だったらしく、専門の医者に診せたほうが良い、と言ったら、ご本人が、某大医学部の皮膚科の若き女医さんだった。


NHKのボッカさんが運んだ食糧もご馳走になり、ビーフシチュー、ハムサラダ、大根と高野豆腐の煮物などなど。

その前に、先輩の手作りの芋がら、イナゴの佃煮、梅酒、ワイン、焼酎、ビールで、すでにお腹いっぱい。
先輩は、マナスルに登った、女性のなんかの記録を持っている大先輩だった。

宴会が続いているので、私は、隣の蚕棚で寝たが、布団は乾燥しているし、湯たんぽも貰って、とても、快適だった。

明日は、朝方は、風が強いので、ゆっくり出たほうが得策、とのことで、8時過ぎに出発になった。

2月1日

雪上訓練 2 につづく…