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ただ今、先行案内中↓
最近みたYoutube動画で涙し
思うことがあったので
シェアしたいと思います。
その動画、
「私は誰なのか」
戦後80年、”中国残留邦人”
1世と4世が抱く苦悩と軌跡
がこちら。フルバージョンで公開されています。
関西テレビのページより、
番組についての説明とディレクターからのメッセージ。
実は最近この本を読み終えたばかりなのですが、
そのタイミングで動画が
おすすめに上がってきて、
すぐにクリック、視聴しました。
著者のなかにし礼さんご自身も
満州うまれ、この小説の内容は
ご自身とご家族のことを元にしたストーリーと言われています
大戦中~終戦後の”満州国”に
暮らした日本人について
詳細な描写がされています。
こういった日本人の皆さんがいたこと、
というか満州国についても
日本の学校の授業で教わることは少なく、
自分は無知だなぁと思いました。
そんな満州に渡っていた日本人の皆さんで
戦後中国に残った・残された方たち。
シェアした動画の主人公の一人、
重光さんはご両親を亡くし子供がいなかった
中国人家庭に引き取られます。
「大事に育ててもらった」と話し、
今日本で暮らす重光さんのご自宅の仏壇には
実のご両親と、中国のご両親
両方の位牌が置いてありました。
プロセスは割愛しますが
(是非動画を観てください)
45歳の時に中国人の奥さんと
子供たちを連れて、日本に帰国を果たします。
なんとその時重光さんは
日本語を全く話せなかったそうですが
今では(少し訛りやカタコト感はあるものの)
流暢に日本語を話します。
中国でも日本でも、
様々な苦労をされたことについて
語られています。
印象に残ったシーン↓
公開されている動画の2人目の主人公は大学生、
残留日本人4世の小晴さん。
小晴さんのひいおばあちゃんが1世で
看護師として満鉄病院で働き、
終戦後も患者さんを放っておけないと中国に残り
中国人男性と結婚したそう。
動画の中で、3世にあたる小晴さんのお母さんと
おばさんが出てきますが、
「小晴ちゃん(4世)も
そんなに苦しむなんて思わなかった」
と涙ながらにおばさんが話していたのが印象的です。
小晴さんは3世のお母さんが
中国人男性と結婚し、いわゆる日中ハーフです。
でも、日本では子供の頃から
中国人としてのアイデンティティを
明かすことを積極的にせず、
生きるのがつらかったことがあったと語っています。
(中国の大気汚染などの影響・風評で
周りの子供にいろいろ言われたくなかった、ということのようです)
そんな小晴さんが大学生になり、
1世にあたるひいおばあちゃんが暮らした
満州のことについて知りたくなります。
自宅でお母さんに写真とともに
いろいろ聞かせてもらい、ついには初めて
一人で中国へ。
中国語も少し話す小晴さんで
日中ハーフでもありますが、
731部隊の展示がある場所を訪問した時は
「日本人」である自分への
周りの視線を感じ、英語と中国語だけで話した、と話しています。
そんな小晴さんの動画内での印象に残ったシーンはこちら↓
ひいおばあちゃんが働いていた
旧満鉄病院の建物を見つけます。
(現在も病院として使われている)
自分は誰なのか、中国なのか、日本なのか、
と悩む小晴さんの大学には
残留日本人2世で、満州について
研究している先生がいて
時々その先生と話をしているシーンも。
この動画に出てくる人たちは
残留日本人という、戦争によって
このような状況にある人達ですが、
ボーダレスと言われ、国際結婚も増えている今、
国籍とかアイデンティティについて
考える人がこれからもっと増えてくるかもしれません。
我が家も国際結婚、子供たちが
将来どんなことを思うのかな?
(なんなら今も、どう考えているのかな?)
とちょっと考えてしまいました。
長くなってしまいましたが、
日本人として、こういうことが過去にあり
その結果今も悩む人たちがいる、
という事実について
いろいろ考えさせられる動画だったので
シェアしてみました。
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