先月父が亡くなりました。
今日が四十九日です。
昨日実家で四十九日の法要があり
ちょっと一区切りついた気持ちです。
昨年、9月に救急車で運ばれ
脱水症状をおこしていたので
入院。
少し前から認知症の気配もあり
自宅に戻って母が介護するのは
ほぼ無理だったので、急遽施設を捜して
受け入れてくださるところを見つけました。
なんとか施設に入居して一安心と
思っていたところ脳梗塞を起こし
脳外科に入院しました。
左の脳だったので右手足と言語に
障害が出てしまいました。
手足は少し回復しましたが
言語障害は回復する事はありませんでした。
脳外科にいる間、面会は医師に呼ばれた時と看護師さんから買ってきてほしいまものを届けに行ったときとかなかなか会うこともできませんた。
その間、血尿がなかなか治まらず泌尿器科へ受診したり前歯がぐらついていたので抜いたり色いろありました。
何回か誤嚥性肺炎も起こしていました。
そして口から食べることができなくなり耳鼻咽喉科の先生からも回復しないことを告げられ病院から胃瘻するか静脈から栄養を送るかを勧められました。
母は胃瘻の意味があまりわかっていなく、弟も離れていてなかなか相談する事もできず、夫とふたりでかなり悩んで手術をする事に。
万が一食べることが出来るようになったら胃瘻をやめる事ができるようで
そうなればいいなと願いました。
お正月施設にもどり少し平穏な日を過ごせましたがインフルエンザに感染し
施設の系列の病院に入院。
3週間ほどで退院。
3月にコロナに感染しまた入院。
1ヶ月位で退院予定でコロナは回復したのですがそれから施設に戻れませんでした。
病院へは月に2回平日予約をして2人だけしか会えないので母と行っていました。
話すことができない父にいっぱい話しかけ、会いに来れないひ孫達のこと
弟家族も元気にしていること
大ファンのファイターズのこと
母はいつもお父さん良くなかったら
また一緒にビール飲もうねと話しかけていました。
亡くなる3日前病院から連絡があり夜に行った時は目もあいていましたが、反応はあまりなく、次の日母ともともと予約していた日だったのですがやはり反応なくそろそろ近いんなんだろうなと思いました。
次の日8時過ぎに病院から連絡があり
娘家族と急いで行きました。
離れている弟に一目会わせたくて病院に許可をいただきLINE電話で父に会わせました。息子にも。
そのすぐあとに
家族に囲まれながら旅立ちました。
92歳でした。
お世話になった病院のスタッフの皆様や施設の皆様には本当にここから感謝です。
亡くなった日、一番かわいがっていた
ひ孫のKちゃんが修学旅行で会えなかったのですが娘がおじいちゃんきっと
Kちゃんに旅立つ姿を見せなくなかったのかなと言っていました。
父が入院、入居してからはいつもいつどうなってもわかならない日々でしたが、父の事は病院や施設の方にお願いして私達家族はいつもとうり生活する事にしました。
今、思うと父は迷惑をかけたくないと思ったのか父の事で何か予定していたことができなくなることは全くなかったんです。
父がいなくなりさみしくなりましたが、母の事もあるので
またいつもとうりに過ごしていきたいです。
それではまた。