京都検定ファンBLOG

京検ブログは、京都検定合格者と京都ファンによる、
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【一生青春】から紅葉散策記の投稿です。


青春は人生に春のある時代。

則ち、心の様相で決まると信じて疑わない。

劇作家バーナード・ショウの言葉

『老いたゆえに遊びをやめるのではない。

遊びをやめるから老いるのだ。』を実践したいものです。



11月30日(水)


小春日和に誘われて伏見の深草から東山の五条まで

山麓の社寺など散策に出ました。


その中で、ゆっくり紅葉を眺めながら静かな雰囲気で楽しめる、

お奨めの寺院が有りました。その名は智積院(ちしゃくいん)。

場所は東山七条です。七条通りを東大路に突き当たった所で、

付近には三十三間堂や京都国立博物館があります。


この寺院は真言宗智山派の総本山です。

広い境内に手入れの行き届いた紅葉が広がり、

特に鐘楼(知恩院・方向寺に次ぐ大鐘)付近の紅葉は素晴らしいです。

伽藍は昭和に復興して再建されましたが、

金堂をはじめ堂々とした立派な建造物です。


この寺院の宝物館では、国宝の長谷川 等伯・久蔵(父と子)が描いた

「楓図」・「桜図」が観賞出来ます。
方丈の庭は国の名勝に指定された池泉鑑賞式の庭園です。

時間の許す限り、1ヶ所で落ち着いて

紅葉・絵画・庭園を楽しむ事が出来ます。

足元は石畳が敷かれていますので雨の日でもOKです。
四脚の鐘楼、この大鐘は大晦日【除夜の鐘】に

撞くことが出来ると思います。

昨年は深草の瑞光寺(元政庵)の鐘とともに案内されていました。

この二ケ寺は印象深い「鐘」でした。

境内には智積院会館が有り、宿泊・食事・喫茶が出来ます。



《当日の散策コース》


京阪深草から

  ↓

宝塔寺に日像廟・七面大明神まで散策する。

紅葉、さざんかの花、椿の花が山道の参道を彩る。

  ↓

瑞光寺の元政庵は茅葺の本堂です。

前庭と鐘楼を配した紅葉が美しい。

剪定した花梨の樹に大きな黄色い実を一つ残している。

JRの線路を隔て元政墓碑は竹が数本です。

  ↓

石峰寺の本堂裏には五百羅漢の庭。

伊藤若沖墓碑付近の紅葉が墓石を覆ってる。

唐風の門前後の南天の赤い房が垂れ下がるのも美しい。

  ↓

深草墓地公園は紅葉、さざんかの花が見頃だった。

  ↓

ぬりこべ地蔵は墓地の中にいらっしゃる。

歯痛にご利益があると伝わる。

  ↓

伏見稲荷大社は神田付近へ。田植祭の舞台。

八島ヶ池に映る紅葉を観賞する。

  ↓

大橋家庭園(水琴窟)【事前予約が必要です】

  ↓

南明院(旭姫:家康室ゆかりの寺)

  ↓

光明院には重森三玲 作:波心の庭。

枯山水・三尊の石組など多数の立て石が

白砂や緑の苔中に配され、背後の紅葉が屏風と成る。

庭園は本堂・方丈・茶室の三方向から鑑賞出来るのが素晴らしい。

玄関:式台入口は茶色塗りの三和土に埋め込みの黒い三角形石を配し、

その合間に楓の葉を塗り込んだ葉模様が繊細に沈む。

靴を履く時に気付いたので受付の方に、

「これは素晴らしい。三玲さんの作品かな…」と笑って聞いてみた。

まさかねぇ……これは平成の作品だった。

この寺院はJR東海が新幹線に乗って京都に行こうの

キャンペーン・ポスターを舞妓さんとともに撮影した庭園です。

  ↓

東福寺の塔頭:正覚庵は筆供養の寺。

本堂前の火壷には11/23に行われた筆供養の灰塵が残っている。

紅葉は本堂の左側の山裾が良い。

  ↓

東福寺の塔頭:分陀院(雪舟寺)。

同じく塔頭:天得院は文映清韓長老の住坊です。

彼は【国家安康・君臣豊楽】の詩文を作ったので、

“方広寺の鐘銘事件”で割りをくった。

今日は東福寺には入らない。

  ↓

臥雲橋から見下ろす谷間の紅葉はまだ少し早い。

通天橋の方角を見上げると、

雑踏する観光客で溢れているのが遠望出来る。

  ↓

東福寺の塔頭:同聚院には破格の身請金で

アメリカの富豪に嫁いだ祇園の舞妓、

ユキ・モルガンの墓碑を探し出す。

  ↓

日吉ヶ丘高校のグランド脇の細道を登って

泉涌寺の塔頭:悲田院に向かう。

寺院は高台に位置して展望台となり、京都市街が一望出来る。

  ↓

泉涌寺の塔頭:今熊野観音寺の参道に架る

朱塗欄干の橋下をくぐり抜け、剣神社に参る。

  ↓

新熊野神社。

足利義満が当社で初めて観阿弥・世阿弥親子の

能を見たという石碑がある。

楠の大樹が有名だが、御神木は椥(なぎ)である。

  ↓

次は冒頭に案内した智積院です。

鐘楼付近の紅葉が樹下に展がる杉苔の緑と調和して絵になる。

  ↓

新日吉神宮→豊国廟→高倉天皇陵→清閑寺と散策を続けたが

写真撮影や物見遊山が過ぎて日暮れてしまい、

帰路は渋谷街道を下る。→京阪七条→帰路とする。


【歩数計は3万超】





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平成23年12月11日は、

結婚記念日に次ぐ思い出の日になることを念じて、

京都検定1級を受験しました。

しかしながら、合否の判定を待たずに、

次回に楽しみを持ち越す結果になりそうです。


そこで、マイペースの受験勉強を反省する意味を込めて、

“ヤマ感はずれ”を列挙してみます。



◎祇園祭
  前回の祇園祭に関する出題は、休止している「大船鉾」でした。

  そこで今回は、東日本大震災との関連で、

  仙台七夕祭りに出向いた「綾傘鉾」が出題されるのではないかと予想しました。

  深読みを反省。



◎今年の話題
  今年の話題となったことも、京都検定にはよく出題されているので、

  次のような事柄を予想していました。 


・南座の緞帳が新調されたこと。緞帳の名前は、「赤地草花連紋」。
・京都検定の定番NHK大河ドラマ。

 養源院の再建に尽力したのは、崇源院の夫(徳川秀忠)で、

 崇源院は、大河ドラマの主人公の「江」です。
    ⇒ 2級に出題された。次回、平清盛の出題を待ってます。
・鳥居元忠や俵屋宗達など小論文記述に、最適と・・・。
・小論文では、第5回に葵祭、第6回に祇園祭、

 そして、今回、第8回に時代祭でした。予想通り。
・1級に出題された今年の話題としては、法然上人800年大遠忌、

 嵯峨野トロッコ列車開業20周年などでした。

 法然さんか親鸞さんかどっちかは出るだろうと思ってました。



◎苦手なジャンル
  縁遠い能・狂言はノーマークで、設問の「京観世五軒家」は脱帽でした。
  偏った勉強に反省。


特に、昨年の七福神といい、5から10くらいで

ひとまとまりとなっているものは要注意でした。

その観点で、テキストをもう一度、確認します。



因みに、友人は、受験会場が異なるにもかかわらず、

「今年の葵祭の女人御禊神事は、どっちの神社だった?」

と聞きに来ました。

受験者がもがきにもがいている“ヒトコマ”でもありました。


私は、来年1月25日の発表を待つことなく、

奥の深い“京都検定”へのチャレンジが続くことになりそうで、

決意を新たにしております。
                        (ペンネーム:ぽてさら)




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(※講習会受講者の方より投稿いただきました。)


「一生青春」と申します。


以前から東寺の立体曼荼羅を解説して貰うチャンスを待ってましたので

10月19日に行われた京都商工会議所の京都検定講習会、

『"東寺"特別拝観と京野菜"九条ねぎ"噺』に参加しました。


◎コーディネーター

  丘 真奈美 氏(京都ジャーナリズム歴史文化研究所 代表)

      南大門にて本日の探訪概略。
◎法話

  松崎 全信 師(法務部課長)・・・東寺・観智院も案内して頂いた。
      法話は大日堂:話題の主は東日本大震災の被災地を訪ねて

            犠牲者冥福の供養行脚から体験談など話された。




【東寺、正しくは教王護国寺】

《拝観》


※大日堂:法話を受講と拝観

※大師堂【西院御影堂】(国宝)
   北向が正面になっているのは御所(天皇)様に背中を見せない配慮。
   本尊空海坐像は運慶の四男・康勝の作。

※不動堂:大師堂とは背面合わせに一つの棟で南側に建立されている。
   大師堂が前堂、不動堂が後堂。

   不動明王像は弘法大師作(秘仏で未公開)。

※毘沙門堂:都七福神の毘沙門天。

※食堂:観音堂

※五重塔(国宝):徳川家光が再建。

※金堂(国宝):豊臣秀頼が再建。

※講堂(重文):立体曼荼羅。
   五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の

   二十一躯の仏像で構成される。
   その内の十五躯は国宝、残る六躯は重文。
   
国宝の十五躯は平安時代前期を代表する密教像の代表作。

※蓮華門(国宝):室町時代

※宝物館:羅城門の楼上に安置されていた兜跋毘沙門天(国宝)等。



【観智院】

《拝観》


※本堂:本尊【五虚空蔵菩薩(重文)】は入唐八家の一人である恵運の請来仏で唐時代の作。

※客殿(国宝):床の間の『鷲の図』と襖絵の『竹林図』は宮本武蔵筆(国宝)。



松村 全信 師の『こぼれ話』から


【その1】
東側の南寄の東大門は不開門(あかずのもん):東寺に陣を置いていた足利尊氏が新田義貞に攻められ逃げ込んだ。このとき閉ざされ、開くことはなかった。弓矢の跡が今も残る。


【その2】
蓮華門(国宝)の名称は空海が高野山に向かった最後に出た門が蓮華門。
そのとき、不動明王が見送に現れ蓮の花が咲き別れを惜しんだとの伝説から蓮華門とされた。


【その3】
南の大門が楼閣門でないのは明治初期には門は焼失していた。
明治28年、平安遷都1100年に内国勧業博覧会を開催するときに、京都の玄関口となる大寺に正門が無いのは様にならぬと当時の三十三間堂から西門を移築した。


【その4】
毘沙門堂の西側・不動堂の正面の塀際に亀の甲羅に石碑(墓碑)が建つ。
これは明治初期に神仏分離政策で北野天満宮・宗像社の側にあったのが何故か東寺に移転された。
亀の甲羅と前述したが、この動物は亀ではなく『贔屓(ヒイキ)』と云う。
『贔屓』は亀の形をした想像上の動物で中国伝説によると『龍の子供』で亀に似ており、怪力で重いものを背負うのが好き。

古来から柱や墓の土台とされた。


【その5】
五重塔の初層は心柱を大日如来に見立て四面各面に阿しゅく如来三尊・宝生如来三尊・阿弥陀如来三尊・不空成就如来三尊の三尊像を安置する。
如来 心(身)柱と各層は独立している。
多くの部材で積み上げられた塔身は乾燥で収縮するが、独立した心柱はあまり収縮しない。そのためズレが生じ、そのズレを直すために、元祿五年に約五十センチほど心柱を切り下げたため(創建48年後)、須弥壇下の心柱の彩色が少しずれている。《創建以来の耐震構造》


【その6】
東寺の金堂(本堂)には中尊が薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩の三尊で衆生には昼夜24時間の救済体制であります。





◎ハトヤ瑞鳳閣


『九条ねぎの噺』石割 照久 氏(新京野菜の会 会長:(株)嶋石 代表取締役)
『九条ねぎ入り特製京料理弁当』中村 健治 氏(ハトヤ瑞鳳閣 料理長)



九条ねぎの話から


【その1】
ねぎは古来、大阪の難波周辺に自生していたねぎが原種とされ、後に京都に伝わり品種改良された。『鳥なんば』『鴨なんば』等【うどん麺】のメニューの【なんば】は「ねぎ」のことを指す。


【その2】
ねぎには強壮作用があり、伏見稲荷創建の際に職人や工人の滋養強壮の為に伏見の深草里で栽培され、その後に九条地区が主生産地となりその名がついた。


【その3】
空海が大ヘビに追いかけられた時ねぎ畑に隠れて難を逃れたという故事から、東寺周辺の農家では東寺のご影供(縁日)である21日にはねぎ畑には入らない。この日はねぎを食べない。




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久々に、京都のマップ紹介をさせていただきますクラッカークラッカークラッカー



今回ご紹介するのは、

京都御苑散策マップ「歴史ふれあいの道」です。


京検事務局のブログ-マップ


京都御苑内にある歴史の舞台のあとをたどる道だとか。


平安時代から現在までの歴史的遺産があったと想像される場所に

駒札型お触れの案内板が設置されており、

マップではそれに基づいて、「平安時代」、「幕末の軌跡」、

「公家屋敷跡」の3つのコース順路の例を紹介しています。


京検事務局のブログ-駒札


設置場所は、以前このブログでも紹介した猿が辻 をはじめ、

(今回の京都検定3級にも出題されてましたね~音譜

「枇杷殿跡」 【びわどのあと:清少納言や紫式部も仕えた邸宅跡】や、

「出水の小川」 【でみずのおがわ:昭和に新設された小川】、

「橋本家跡」 【はしもとけあと:皇女和宮生誕の地】など、

全部で20か所です。


そのうちの18基には、小さな凸凹のついた台がついています。

上の案内板の写真の下の部分です。

拡大すると矢印こんな感じになっています。


京検事務局のブログ-台板


ここにA4の紙をのせ、凸凹部分(赤丸部分)の上を

鉛筆でこすると、ある模様が浮き出てきます文具:えんぴつ


18基すべてまわると、一つの絵が完成するんですばんざいばんざいばんざい

その絵は四季ごとに変わるとかchangeチェンジ



どんな絵が完成するかは、

やってみてのお楽しみ。


ぜひ、チャレンジしてみてくださいGoDASH!




※このマップは、京都御苑内の管理事務所で入手できます。




【駒札の設置場所】


① 閑院宮邸跡   江戸時代の四親王家の一つ

② 出水の小川   昭和に新設された小川   

③ 賀陽宮邸跡   還俗し、孝明天皇を助けた宮家跡

④ 西園寺邸跡   私塾・立命館創始の地

⑤ 枇杷殿跡     清少納言や紫式部も仕えた邸宅跡

⑥ 清水谷家椋   禁門の変激戦地

⑦ 蛤御門      大火で開門したため蛤にたとえた

⑧ 縣井        五摂家、一條家跡にある井戸

⑨ 近衛邸跡     五摂家、池泉回遊式庭園が遺る

⑩ 猿が辻      御所の鬼門、魔除けの猿

⑪ 中山邸跡     明治天皇誕生の地

⑫ 土御門第跡   藤原道長邸跡

⑬ 橋本家跡     皇女和宮生誕の地

⑭ 学習院跡     公家の若者たちが学んだ学習所跡

⑮ 凝華洞跡     後西天皇退位後の仙洞御所跡

⑯ 桜町        紀貫之邸跡

⑰ 博覧会跡     明治の博覧会常設会場跡

⑱ 鷹司邸跡     五摂家、禁門の変激戦地

⑲ 堺町御門     幕末激戦地

⑳ 九條邸跡     五摂家、優美な茶室・拾翠亭が遺る




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きらきら!!京都に生まれて66年。


子供のころはどこの商店にも板塀に看板が張り付けてありました。

例えばオロナイン軟膏、月桂冠、ケロリンなどですケロ♪

その一つに仁丹仁丹の社名が入った住所表示がありました四つ葉




今は、建物も洋風化しそのような看板も見かけなくまりましたが、なぜか仁丹の看板は住所が表示されているためか残っています。ある雑誌に仁丹の看板のことが載っていて、俄然興味がわいてきました!!




ちょうどその頃、還暦を迎え小学校の同窓会を計画し、同級生の所在を確認したくて、ずっと学区内に住み続けている同級生に会いに行くことになり、学区内を何十年振りかに歩いてみると、なんと仁丹の看板があったので目!!



後日カメラ片手に学区内を散策すると他にも見つけることが出来ましたデジタル一眼レフカメラキラキラ

仁丹看板をネットで調べてみると、明治43年から大都市中心に順次設置されたとありました。

京都市はその当時、上京区下京区に分かれており、1929年に中京区が増区されたそうです。

したがって、新たに中京区となった地域では住所表示を変更する必要が出てきたと思われます。




京都の散策に楽しみが一つ増え、歩く事が苦にならなくなりましたおんぷグッド!

まずは、わが町紫野小学校区の写真を掲載しますべーっだ!音譜




京検事務局のブログ-仁丹写真①






京検事務局のブログ-仁丹写真②





京検事務局のブログ-仁丹写真③







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