『水戸黄門』第40部第12話「藩主の嫁も楽じゃない(鶴岡)」(平成21年10月26日放送)

 

第40部第12話で光圀が鶴岡(今は山形県)を訪れる。庄内藩主・酒井忠真(~ただざね)の妻が老公の姪・密姫だったという話。

 

例によって歴史的背景を検証する。
酒井忠真は出羽国庄内藩4代藩主。正室・密姫細川綱利(~つなとし)と正室・犬姫(本源院)の間のむすめ。犬姫は徳川頼房のむすめで松平頼重の養女。頼重の子が綱條である。密姫の母・犬姫は光圀の妹で、密姫は光圀の姪である。これは劇中で格之進が説明していた。

 

家康

頼房(水戸)
┣━━━━━┳━━━┓
頼重____光圀__┃
┠──┐__┃___┃_____酒井忠義(先代藩主)
┃__養女←┃──犬姫━┳細川綱利_┃
┃_____┃_____┃_____┃
綱條____頼常____密姫━━酒井忠真(庄内藩藩主)
↓_____↓
光圀の養子_頼重の養子

 

大名の妻は江戸屋敷に住むはずだが、劇中の助三郎の台詞によると、このとき、密姫は先君の法要のためにお国入りしていた(どう見てもお忍びの植林が本当の目的に見える)。
先君とは忠真の父・酒井忠義であり、当然ながら密姫にとっては義理の父親。忠義は1681年没である。
該当するのは13回忌であろう。没後12年であれば1693年になる。没後13年なら1694年だ。

 

光圀の隠居は酒井忠義没後10年目なので、忠義の7回忌では光圀はまだ隠居しておらず、逆に17回忌の場合、今度は松尾芭蕉がすでに故人となってしまい、遅すぎる。

 

この第40部では光圀の旅と同時に境正章扮する松井芭蕉がやはり北に向かっている。この第12話の次の第13話で光圀は新潟の出雲崎を訪れ、そこで松尾芭蕉が登場する予定。芭蕉は1694年没。
└→『水戸黄門』第40部における光圀と密姫について補足

└→〔『水戸黄門』第40部における光圀と密姫について補足

 

さて、次は光圀(演:里見浩太朗)は新潟の出雲崎を訪れる。光圀は山形の鶴岡でも「越後のちりめん問屋の隠居・光右衛門」を名乗っていたが、新潟でそう名乗るかどうか。

 

なお、第25部の佐野浅夫扮する光圀は第28話で新潟を訪れ、第29話で庄内藩(山形県)を訪れた模様である。今回の里見浩太朗版の光圀は山形のあとに新潟だからコースが逆というわけだ。

第25部第35話はかたき討ちの話であった石巻の話と思われる。

 

このHP第40部のはずだが、自動的に第41部になっていた。

 

水戸黄門 第40部 

第12話:『藩主の嫁も楽じゃない』/鶴岡 黒川智花登場。

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水戸黄門 第40部 

第12話 密姫が城を出て植林事業の手伝い。

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/#元禄レトロ/#平成レトロ

『水戸黄門』第40部 

第12話「藩主の嫁も楽じゃない(鶴岡)」 

(平成21年10月26日放送、令和5年2月28日再放送) 

舞台は鶴岡(現・山形県)。庄内藩主・酒井忠真(~ただざね)の妻が老公の姪・密姫だった。

/C.A.L 水戸黄門 第40部 ストーリー (cal-net.co.jp)/

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時代劇の「水戸黄門」」では光圀が近畿地方を訪れて紀州の「暴れん坊 若様」だった源六または新之助頼方(のちの吉宗)と会う話が2回あったが、もちろん、フィクション。史実では光圀の西への旅は熱海までが限度。しかも新之助は光圀が隠居していた時期に江戸に来ていたようだ。

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ちゃっかり八兵衛の台詞によると大名の奥方は江戸に住んでいたらしい。すると密姫は光圀と江戸で会おうと思えば会えた。密姫がお国入りしたときに、光圀が鶴岡まで足を運ぶ必要はなかった。史実では光圀の行動範囲は勿来(なこそ)、日光、熱海に囲まれた地域で、水戸と江戸を含む関東とその周辺のみ。

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史実では徳川光圀が旅した範囲は勿来(なこそ)、日光、熱海に囲まれた範囲で、ほぼ関東地方とその周辺。ちゃっかり八兵衛の台詞にあったように、大名の奥方は江戸に住むのが普通だったようで、密姫がお国入りのときに光圀が鶴岡へ向かわなくても、江戸で会おうと思えば会えたはず。

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この2人は平成の時代、「水戸黄門」に出演した。 

/#元禄レトロ/#平成レトロ

💻水戸黄門まつりでパレード 京本政樹さん、黒川智花さん参加(平成25年)

/#京本政樹/#黒川智花/ /#水戸市/#茨城県/

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/#黒川智花/は平成16~17年の「3年B組金八先生」第7シリーズと平成23年の「3年B組金八先生ファイナル〜最後の贈る言葉」に出演。また、平成19年と平成21年には里見浩太朗主演の「水戸黄門」に出演。 惜しいことに武田鉄矢主演の「水戸黄門」(平成29年、令和元年)には出演していないか。 /#平成レトロ/

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大名の妻は江戸屋敷に住むはずだが、劇中の助三郎の台詞によると、このとき、密姫は先君の法要のためにお国入りしていた(どう見てもお忍びの植林が本当の目的に見える)。

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先君とは忠真の父・酒井忠義(出羽国庄内藩主)であり、天和元年(1681年)没。密姫にとっては義理の父親。劇中の法要が13回忌とすると、没後12年であれば元禄6年(1693年)になる。 忠義の7回忌では光圀はまだ隠居しておらず、逆に17回忌の場合、今度は松尾芭蕉がすでに故人となってしまい、遅すぎる

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/【茨城新聞】山車華やかに 水戸黄門まつり、パレードにぎわう (ibarakinews.jp)/

/#平成レトロ//#元禄レトロ/

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/#元禄レトロ/#平成レトロ

「水戸黄門」では吉宗(劇中では新之助または源六)も密姫も城の外を出歩くのが好きで、しかも家臣に悪人がいて、光圀に助けられたということになっている。もちろんフィクションであろう。

 

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参照

平成21年BLOG

『水戸黄門』第40部における光圀と密姫について補足

 

「水戸黄門」終了からもうすぐ2年、水戸黄門まつりに京本政樹と黒川智花が参加