「麒麟がくる」、金ヶ崎の戦い→姉川の戦い→比叡山延暦寺焼討ち
〔第三十一回「逃げよ信長」2020.11.8放送〕
永禄13年(1570年)、金ヶ崎の戦い。
「小豆の袋」の逸話は割愛された模様。
〔yuu7v@yuu7v〕
小豆袋が信長を救った話: ... 今は、このありさまです (ToT)/~~~ 敦賀市はナンセンスだね!! う~ん、ここだけが残念でならないなぁ~ ハァ~ (-。-)y-゜゜゜ 「ブログ村」情報ランキング登録中!ココをクリックして...
[小豆袋が信長を救った話] by 旅&食べ歩きブログ
〔ラーメン評論家 山本剛志(らをた)【ラジオ番組でラーメンの話をしたい@rawota〕
水戸黄門が実在だと思っている人は過半数ではないと思うが、大河ドラマを完全史実だと思っている人は意外と少なくなくて、「大河ドラマを見て歴史を勉強しなさい」とか言われた高校生の頃から歴史が嫌いになった 〔#ss954〕
大河ドラマを史実だと思うと混乱します。市が信長に小豆を送った逸話は「おんな太閤記」にあったと思いますが、「江」では送らなかったことになっています。明智光秀の最期は「天地人」と「江」で大違いです。西郷隆盛と勝海舟の会談の内容は「翔ぶが如く」と「篤姫」で全然違います。
「おんな太閤記」で「お市が信長に小豆の袋を送った逸話」が描かれたが、これも「江」では市が袋を投げ捨てて、信長に送るのをやめたことになっている。
「江」の中の「信長の杯」と「お市の小豆の袋」に関する異説は、スタッフが「史実」を重視するか新説を紹介する意味で採用したのだろうが、一般にはこういったことは余り話題にならず、江姫の伊賀越え参加や清州会議盗み聞きなどの脚色が批判されている。
つまり時代劇について「史実と違う」という批判をする人は多いが、時代劇のスタッフがそれで「史実」に近づける試みをしても、大した評価はされないということだ。
〔歴史雑談録@rekishizatsudanさん〕
449年前の今日、織田信長が比叡山延暦寺を燃やしてしまいました!発端は信長の延暦寺美濃山門領押領にあり、延暦寺の朝倉浅井連合への加担が決定打。それほど大規模でなかった近年の説あり。延暦寺も100年前に大谷本願寺を焼き討ちしてますけど。なお足利義教や細川政元も延暦寺を焼き討ちしています。
「麒麟がくる」には日本史で習ったこととは違う点が何かとあって、理解し難いことが多い。 例えば信長の朝倉義景攻めの際の浅井長政の裏切りは、長政に嫁いだ妹の「市」からの陣中見舞いとして送られてきた「藁で包まれた小豆」から察したと言われているのに、それを描かずに光秀がその情報を得たと。
小豆袋無しに困惑する人の多さが、その創作逸話の偉大さを感じる 〔#麒麟がくる〕
「市、そなたはもう織田信長の妹ではない。この浅井長政の妻じゃ」 戦国時代の姫君は優秀な外交官だったと聞いた。だから嫁ぎ先より実家の利益を優先するイメージ。でも「小豆袋」エピソードはもう使わないんだな。時代考証、しっかりしてる。 〔#麒麟がくる〕
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関連語句
〔比叡山 [1]〕〔比叡山 [2]〕〔延暦寺 [1]〕〔延暦寺 [2]〕
〔@kyojitsurekishi 小豆〕〔麒麟がくる 小豆〕〔麒麟がくる 小豆 袋〕(twitter)
参照
2020-10-02 02:45:51
〔2020年(令和2年)12月「麒麟がくる」、サブタイトル、劇中の時代設定〕
〔令和2年~3年の大河「麒麟がくる」、天正4年(1576年)〕