春日太一著『なぜ時代劇は滅びるのか』(2014年10月)→〃関連tw(11月)→補足(2014年12月→2015年
 
@misterhiropon 里見浩太朗は石坂浩二に反論し、自分の代で東野~西村~佐野路線に戻したつもりだったんでしょうが、それでも石坂黄門と同類に見られたのでしょう。里見氏は記者会見で「なぜ10%かわからない」と途方に暮れてましたが最後まで自分が降りようと思わなかったんでしょう。
posted at 11:50:31
 
単純に視聴率で優劣を決めると「江」より「平清盛」が低かったから、「清盛」は失敗で「江」はまだましという結論になります。春日太一氏は「『江』で呆れた視聴者が『清盛』以降を見なかった」と分析してますが、結局、作り手だけでなく視聴者にも問題がありそうです。
posted at 12:07:52
 
@kyojitsurekishi 春日太一氏の「なぜ時代劇は滅びるのか」による分析をまとめると、逸見稔が水戸黄門をマンネリ化して老人向けにしたのは失敗で、逸見没後のスタッフが若者向けを狙ったのはよかったが、水戸黄門役に主役級を持ってきて助さんが地味になったのが失敗だったらしい。
posted at 12:49:01
 
@kyojitsurekishi 「なぜ時代劇は滅びるのか」における分析をまとめると、春日太一にとって水戸黄門が「理想的」なのは水戸黄門役が名脇役、助さん役が主役級で、しかも内容が老人向けを狙っていない、マンネリでない連続枠の状態ということになる。これは東野黄門の初期に相当する。
posted at 12:52:46
 
@kyojitsurekishi 春日太一氏は「水戸黄門」終了に関して、高齢の視聴者がパナソニックの顧客層と合わなかったという流れでは「よくぞここまで持ちこたえた」としながら、ミスキャストや撮影現場に関する話の中では、これが「産業としての時代劇」に「悪影響を与えた」としている。
posted at 11:20:33
 
kyojitsurekishi 春日太一氏は「なぜ時代劇は滅びるのか」で、時代劇がテレビの連続枠でマンネリ化したことを「高齢者向けになった」「マンネリでつまらないという偏見を生んだ」と批判しながら、若手育成にはその枠が必要だとして民放時代劇のスペシャル枠への移行をも批判している。
posted at 11:23:11
 
@kyojitsurekishi 春日太一の論をまとめると、日本の時代劇産業は、若者層を狙う大手スポンサーが年寄り向けに慈善事業で巨額の投資をすることで支えられていたわけで、大手企業が利益を度外視し、赤字覚悟で時代劇撮影所の人材育成までをも面倒見ていた…その時代が終わっただけの話
posted at 11:29:18
 
視聴者も問題。「大河は戦国と幕末の繰り返しで飽きる」と言いながら源平を扱った作品が出ても見ないし、「画面が綺麗すぎ」と言いながら「汚く」した作品にケチをつける。
15:24 - 2014年12月10日
 
 「水戸黄門」で里見浩太朗は2002年から2011年まで光圀役を9年やった。東野英治郎の13年は別にして西村晃は9年、佐野浅夫は7年やったので、2011年でのシリーズ終了は潮時だったと言えよう。
 
@kyojitsurekishi 「なぜ時代劇は滅びるのか」で春日太一が批判していた俳優やテレビ関係者はそれほど悩んだり怒ったりする必要はない。あれは春日氏の主観が多分に入っており、読者が全て同意するとは限らない。
posted at 23:05:12
 
@kyojitsurekishi 「久米書店」で春日太一氏の「なぜ時代劇は滅びるのか」が取り上げられていたらしい。日テレは真先に連続時代劇枠から撤退した局。
BS日テレ - 「久米書店~ヨク分かる!話題の一冊~」番組サイト │ 放送内容
posted at 15:17:22
 
@kyojitsurekishi 春日太一氏は時代劇が1時間の連続枠でマンネリ化していったことを批判しながら、それが年数回の2時間SP枠に移されただけで「時代劇が終わった」と嘆く人のようなので、Nステと必殺の関係について語ったとしても彼自身の持論(主観)が大幅に含まれているだろう。
posted at 21:35:59
 
posted at 21:36:57
 
@kyojitsurekishi 春日太一氏の「なぜ時代劇は滅びるのか」はアニメファンからも注目されているのか。過去のヒット作の安易なリメイク+適役かどうか考えない配役と話題作りのための有名人起用+次の人材が育たない…という問題が共通しているのだろうか。
posted at 03:54:21
 
@kyojitsurekishi 「なぜ時代劇は滅びるのか」の春日太一氏はTVの連続時代劇のマンネリ化を批判しながら、時代劇がその連続枠に留まることを望み、年数回の2時間SP枠に移されただけで「時代劇が滅ぶ」と悲観的になる人のようだ。
posted at 18:48:11
 
posted at 00:16:40
 
むしろ必殺は早いうちに2時間スペシャル枠に移行したことで、21世紀に復活して2014年まで続いているのに対し、水戸黄門は1時間連続枠にしがみついて時代に乗り切れず、2011年に力尽きたと言える。
 
@kyojitsurekishi 1980年代、水戸黄門と必殺シリーズはマンネリ化し、春日太一氏によるとこれが「高齢者向け」になったわけだが、両シリーズのスタッフは当時、若い視聴者も取り込もうとしていたように見えた。
posted at 00:26:35
 
@kyojitsurekishi 必殺が連続枠から撤退し年数回の特番のみになった1987年当時、春日太一氏は10歳で、「仕事人・激突!」放送の91~92年当時14~15歳。この世代にとって必殺の連続枠からの撤退は悲劇だったのだろうか。
posted at 00:50:57
 
@kyojitsurekishi 時代劇の「マンネリ」を批判していた春日氏が半ば「保守的」だったか。水戸黄門を「斬った」TBSとパナソニックの方が「時代」を見ていたということだろう。
2014年12月25日22:54tw
posted at 22:54:23
 
@kyojitsurekishi 春日太一氏が「オール讀物」に執筆した文では、水戸黄門の終了はビジネスの上での必然であり、時代劇がマンネリの固定観念から脱却するチャンスだと述べていた。しかし「新潮45」での石坂・里見黄門のキャスティングへの批判(それは必要で見事な指摘だった)等を合わせた文庫「なぜ時代劇は滅びるのか」では、水戸黄門の終了→民放の連続時代劇消滅→時代劇産業への悪影響に対する恨み節という結論になってしまった。
posted at 22:55:41~ 22:58:50
@kyojitsurekishi 「民放は京都の撮影所の仕事と時代劇の後継育成のために連続時代劇を残すべきだ」などという見方は本末転倒(~轉倒)。テレビ局は時代劇だけのためにあるのではないし時代劇は撮影所のために存在するわけではない。
posted at 13:15:14
必殺の山内プロデューサーは2011年当時、NHK大河ドラマのガイドブックにメッセージを送り、「時代劇が作られなくなっていることがテレビの劣化を招いている」としていた。
必殺と『水戸黄門』は1979年に人気が頂点に達し、1980年代にマンネリ化した点が似ており、21世紀になって人材不足によるキャスト面の問題があったことも共通している。しかし必殺は1980年代後半に連続枠から撤退し、スペシャル枠に移行した。ここは連続枠に留まった『水戸黄門』と違う。春日太一氏はテレビ時代劇のスペシャル枠への移行に批判的だが、それは春日氏個人の主観なので排除すると、スペシャル枠移行は時代劇存続のための英断であり、必殺スタッフには先見の明があった。また、必殺の場合、映画のシリーズ化も大きい。『水戸黄門』は月形龍之介までは映画が続いたが、東野英治郎以降は映画が1本封切られただけでシリーズ化していない。必殺はまず『必殺仕掛人』が3本(田宮二郎版『必殺仕掛人』、テレビと同じ緒形拳主演の『梅安蟻地獄』『春雪仕掛針』)、『必殺仕事人』が7本(『必殺!』『ブラウン館』『裏か表か』『恨みはらします』『黄金の血』『主水死す』『三味線屋・勇次』)作られた。必殺は早くから連続枠から撤退して復活した。ナショナル劇場の時代劇は連続枠に適応しすぎて、時代劇の「映画回帰」「スペシャル枠化」に適応できず、消滅したと言えよう。
 
時代劇の現状について春日氏が嘆く気持ちもわかるが、時代劇が連続枠で高齢者向けのマンネリでもダメ、スペシャル枠でもダメだと言われては、では現場はどうすればいいか現実的な代案が全くない。スペシャル枠への移行については、「京都の撮影所の仕事」が減るという懸念があるが、これは京都の撮影所の自己責任であり、作っている側は東京近郊で撮影できればとこでやるだけ。テレビ局や事務所が考えるべきなのは後継者育成だろう。
 
若い役者が「作り込み」を学ぶ姿勢、歌舞伎役者が時代劇の演技を身に着けること、撮影の際、監督が現場にいることなど、関係者が先人から学ぶ手本がある場合はいい。
しかし時代劇映画が1年に100本あった時代や連続時代劇が平日に毎日あったような時代は既に過去であり、春日太一はその時代を基準にして、それより本数が少ない今の「時代劇の危機」を決めつけているだけだ。
早い話が「春日太一の好む時代劇の危機」に過ぎないのかも知れない。
 
時代劇を作る側としてはテレビの連続枠にして高齢者向けのマンネリにしてもダメだと言われ、それでは若者向けにする工夫をしても批判され、年数回のスペシャル枠にすると若手が育たない、京都の撮影所が失業状態になると批判される。『鬼平』はスペシャルになることでキャストが固定化され、重鎮に頼るようになっているが、では連続枠で若手が育ったか。そうなると『信長協奏曲』辺りのSFもので撮影場所が京都に縛られない作品の方が希望があることになる。
最終的には俳優や役者、脚本家だけでなく視聴者が悪いという結論になる。マンネリを好みマンネリ打破を評価しない視聴者が時代劇を「劣化」させたことになる。個人視聴率判明後、パナソニックはナショナル劇場の時代劇を若者向けにしようと努力したがそれは失敗。要するに視聴者がバカだということだ。そもそも『水戸黄門』で印籠シーンがないだけで抗議するようなバカが『水戸黄門』を終わらせたわけだ。
 
春日氏は「連続枠だけだと若手が育たない」と言うがもともとは映画だけだったのだから、それは通用しない。
連続枠だと撮影場所が京都に拘束されやすいからベテランだけでなく新人も出演しにくいのであれば、撮影所が京都でなければい。京都以外の日本各地で撮影できるような状況で連続時代劇が作られればいいわけだ。
 
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