備中守があさらし者にされている場所の右に立札があってこれは年号不明。そのまた右斜め前にある札の年号が確認できる。だからこれは別の件に関する立札かも知れない。
この手前の札に書かれてある干支は「庚申歳二月」のように見えるが、これでは1800年(寛政12年)以前か幕末の1860年(安政7年、万延元年)になるので、本作の時代設定が「文化・文政年間」であることから考えると字体の似た「庚午」、1810年(文化7年)であろう。
江戸時代の「庚申」の年は1620年、1680年、1740年、1800年、そして1860年であるが、文化・文政は1804年(文化元年、甲子)から1830年(文政13年、庚寅)までであるから、「庚申」は該当しない(下注釋)。
「庚午」であれば、江戸時代でこれに相当するのは1630年、1690年、1750年、1810年であり、このうち、1810年が文化7年に相当し、「文化・文政」に含まれる。
「庚(かのえ)」で始まる干支では、他に「庚辰」の年だった1820年、文政3年も考えられる。
ただ、その場合、『旋風編』で主水がオランダ商館に表彰されたのが1819年で、お玉の父親だった元締・虎が江戸の裏組織を仕切っていた「8年ほど前」はもっと前、1810年代初めになる。
なお、文化・文政年間の北町奉行は以下のとおりで、牧野備中守はいない。
永田備後守正道(在職:1811年 - 1819年)
文化・文政年間に起きた北町奉行の交代は1819年、永田備後守正道から榊原主計頭忠之への交代であった。
もし、牧野備中守のモデルが永田備後守正道だったとすると、旧仕置人の裏稼業開始は1819年とも考えられる。ただ、1819年だと干支は「己卯」になり、「庚~」ではない。
また『仕事人V旋風編』では主水は1819年当時、南町奉行所の同心だった。当時の南町奉行は岩瀬加賀守氏紀。
映画『必殺!黄金の血』(1991)では砂浜に立てられた立札が丙戌年11月の物で、南町奉行・筒井和泉守の名が書かれてあった。筒井和泉守政憲(1778~1859)は1821年から1841年まで南町奉行。この期間で丙戌(ひのえいぬ、へいじゅつ)の年は1826年(文政9年)。
└→専行院(せんこういん)、寛政9年(1797年) - 明治5年6月11日(1872年7月16日)
└→鳥居耀蔵同様、史実では明治まで生きたが、作中では江戸時代のうちに仕置(しおき)された設定。
将軍(家斉?) - 和田正信
劇中の時代は「文化・文政年間」という設定のようで、立札に書かれた干支らしきものと北町奉行の交代をヒントに考察。北町奉行の名前は架空らしい。
〔22:20 - 2014年11月18日〕<平成26年>→200年前は文化元年
『必殺仕置人』第1話で仕置人たちが「闇の御前」一派を仕置した後、北町奉行・牧野備中守(演:菅貫太郎)が「心中の生き残り」としてさらし者にされている場面で、五角形の立札に「庚申歳二月」と書かれてあるように見えるが、文化文政年間に庚申の年は存在しない
〔午後8:00 · 2016年7月23日〕<平成28年>
江戸時代の「庚申(かのえさる)」の年は1620年、1680年、1740年、1800年、そして1860年であるが、文化・文政は1804年(文化元年、甲子)から1830年(文政13年、庚寅)までであるから一番近い「庚申」の年は1800年(寛政12年)
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関連語句
仕置人 時代設定(twitter)
注釋
「庚申」は該当しない
1800年は寛政末期で、『仕掛人・藤枝梅安』の梅安が活動していた可能性がある。
1860年になると『必殺仕事人ワイド 大老殺し』で描かれた桜田門外の変のあった時代である。この場合、劇中の主水は少なくとも2年前の1858年から裏稼業をしていたので、この作品だけ独立したパラレルワールドと解釋したとしても、1860年は主水の裏稼業開始の年には該当しない。
参照
【時代劇の時代設定】必殺仕置人 - teacup.ブログ“AutoPage”
仕置人の主水が文化・文政年間で40歳だったら何年生まれか - teacup.ブログ“AutoPage”
『必殺仕置人』第1話の時代設定について追加 - teacup.ブログ“AutoPage”