NHK総合で1月5日午後2時50分から3時まで番宣。新聞のテレビ欄では2時台は野村克也をゲストに迎えた野球の特番だったが、この番宣はテレビ欄に記載されていなかった。
『足尾から来た女』は2014年1月18日(土)、25日(土)、放送予定。
 
農村の女が文字を覚える話は『おしん』を連想させる。
足尾銅山鉱毒事件で村が潰される話は、福島第一原発の事故を風刺したものか。
 
日本の「近代化」「高度経済成長」がろくでもないものだということだろう。
日本人はまたアベノミクスと東京五輪に期待しているようで、何も学んでいない。
 
今晩(1月5日)、『軍師官兵衛』第1話がある。
 
田中正造:没後100年、丸木夫妻の絵画展示 足尾鉱毒、虐げられた人々の怒り(>見出し検索)  
30数年前だったと思うが「原爆の図」も教科書から排除されたこともあったな。学校図書館や教科書から除かれた情報をどう学ぶかが我々の学習の課題だ。
posted at 15:22:18
 
『足尾から来た女』【作品】 - Yahoo!ブログ
村が潰される話を今年やるのは原発事故との関連か。
『はだしのゲン』でも「終戦」後間もない広島で家が次々取り壊された。
「復興」を口実に庶民の生活が破壊されるのはいつの時代も同じか。
posted at 15:12:39
 
 
 
@kyojitsurekishi 田中正造は徳川慶喜より4歳年下だが、没年は同じ。徳川慶喜が生まれた年に大塩平八郎の乱があり、家斉が将軍職を家慶に譲った。田中正造が生まれた年に大御所・家斉が没し、名実ともに家慶の治世になった。
posted at 14:51:52
 
@kyojitsurekishi 田中正造が生まれた1841年に鳥居耀蔵が南町奉行となった。当時、北町奉行は前年から遠山金四郎景元。同じく前年から清国ではアヘン戦争。1842年にアヘン戦争が終了。1843年に遠山金四郎が大目付になった。龍馬は正造より(5歳~)6歳年上だった。
posted at 14:56:05
 
@kyojitsurekishi 今夜9時から #nhk「足尾から来た女」と #tvasahi「三億円事件」。どちらかを見るともう一方を見られない。テレビ番組は見る場所と時間を選べない。
posted at 19:34:08
 
都知事選で細川護熙の「脱成長」に賛否両論のようだが、「足尾から来た女」を少し見ると日本の「近代化」「高度経済成長」が環境を破壊し、人々の住処を奪うようなろくでもないものだったことがわかる。細川氏にも一理あるが彼は猪瀬氏の二の舞になる可能性が高い。
 
/2019年の大河ドラマがクドカン脚本のオリンピックを舞台にした大河ドラマになると発表がありましたが内容がもはや大河じゃないよ!と思いませんか... - Yahoo!知恵袋/
>近現代を大河にするのでしたら、足尾銅山…自由民権運動、日清・日露、シベリア出兵、第一次大戦、満州事変、張作霖爆殺事件、日中戦争、パールハーバー、太平洋戦争、武蔵、大和の話、悲劇の対馬丸…硫黄島…が見たい…
 
日本人って未だに週40時間労働すら守れてないんだよね…
 

返信先:@Toyota86Gさん

日本では1842年は江戸時代、天保の改革の時。 1887~1912年は明治末期、足尾銅山鉱毒事件がありました。 1912~24年は大正時代、女工哀史。 1938年は昭和、日中戦争の時。 1864~70年も昭和、戦後の高度経済成長→公害問題の時代ですね。 訂正

/午後4:38 · 2017年2月17日/

 
足尾銅山鉱毒事件の被害民救済に半生をかけた田中正造の生誕180年を記念し、ストラップが制作されました。
 
令和2年(2020年)から180年前は1840年だから和暦で天保11年。 田中正造が生まれたのは天保12年(1841年)だから179年前。今年は生誕179周年、180年目。 それからー年が田中正造生誕180周年。
 
田中正造が生まれたのは天保12年(1841年)だから令和3年(2021年)から180年前。今年は生誕180周年。 田中正造は渋沢栄一より1歳年下だったのだろう。
 
平成26年放送。 劇中の時代が明治39年、これは西暦1906年。
 
放送年が西暦で、劇中の時代が元号で書かれているのはなぜだ?
>初回放送 
>2014年1月18日から放送[全2回] 
>時は明治39年、政府は足尾銅山の操業を守るため、渡良瀬川下流の谷中村を池にし、鉱毒をそこに沈殿させようとしていた。
 
 
前後一覧 
2014年1/3 1月
 
関連語句
慶喜 龍馬 [1] [2] [3] [4] 竜馬 篤姫 [1] [2](タイトル検索)
田中正造 吉田松陰(内容検索)
足尾(twilog)

参照