夕方6時台、巨人と横浜の試合が雨で中止のようだ。
友吉という職人が琴の爪を作ったが、ならず者によって刺殺される。
友吉の墓に「天保拾四年」とあるから西暦1843年。
岡っ引きばかりが活躍しているが、遠山金四郎と鳥居耀蔵、それぞれの配下の与力や同心たちは何をしていたのか。
 
『仕事人アヘン戦争へ行く』によると1842年に中村主水、秀、勇次、加代、順之助が香港に渡り、出張仕事をしていた。
『龍馬伝』によると1843年には土佐で少年時代の坂本龍馬と岩崎弥太郎が土佐で出会っていたが、これは『龍馬伝』での脚色であり、 大野敏明氏の『坂本龍馬は笑わなかった』98~99ページによると龍馬と弥太郎は幼馴染みではなく、両者が初めて出会ったのは両社が30代になってからの1867年(慶応3年)、場所は長崎だったらしい。
 
1843年末から1844年初めまでの時代は『仕事人意外伝』でも描かれている。
また、1843年には遠山金四郎が北町奉行から大目付になっている。
 
新五と金さんと鼠小僧
『新五捕物帳』では杉良太郎が新五と鼠小僧の2役を演じた「春姿ふたり鼠小僧」と、新五と金四郎の2役を演じた「大江戸桜吹雪 八千両の舞」がある。
前者は鼠小僧次郎吉が存命の時代で、後者は金四郎が北町奉行だった時代らしい。
鼠小僧は1832年に処刑されており、遠山金四郎が北町奉行になったのは1840年だから、新五は最低限1832年から1840年までは岡っ引きとして江戸で活動していたことになる。
 
必殺仕事人IV』第12話で勇次が鼠小僧と間違えられる話があり、これは次郎吉が処刑されて少したった時期。
『八丁堀の七人』は1837年の大塩平八郎の乱から少し経過した年。 
勝新太郎主演の『座頭市』シリーズのある回では、男が引き回しにされている場面で、札にある文字から天保9年、西暦になおすと1838年とわかる。
『必殺からくり人』では第1話で鼠小僧が処刑される寸前にからくり人が救出しようとしていた。終盤では1839年の蛮社の獄で蘭学者が自殺し、仇討ちをしようとした時次郎を含むからくり人グループが壊滅。
『必殺仕事人・激突!』では山田朝右衛門が元服後の初仕事で鼠小僧を斬首したが、次郎吉の罪は冤罪だったらしい。
 
『八百八町夢日記』によると鼠小僧が捕縛されたときの北町奉行・榊原忠之こと夢之介は次郎吉を密かに生かして密偵にしていた。
西郷輝彦が金四郎を演じた『江戸を斬るII』以降では金四郎が北町奉行になった1840年以降にも鼠小僧は生きていた。
 
【時代劇の時代設定】新五捕物帳:職人が悪人たちによって殺害され、墓に天保拾四年とある。
推定すると西暦1843年。
「龍馬伝」では当時、少年時代の坂本龍馬が岩崎弥太郎と出会っていたが大野敏明氏によると龍馬と弥太郎は幼馴染ではなかったらしい。
 
【時代劇の時代設定】新五捕物帳〕 - teacup.ブログ“AutoPage”
 
杉良太郎が奉行と同心と岡っ引きを全部演じる時代劇  
同心暁蘭之介は北町奉行が小田切土佐守の時代で遠山の金さんが北町奉行の時代とは30~40年ほど違う。新五の時代はその間のようで杉は新五と鼠小僧の2役をやったことがある。
 
「新五捕物帳」には杉良太郎が新五と鼠小僧の2役を演じた「春姿ふたり鼠小僧」があるが、他に杉が新五と遠山金四郎の2役を演じた「大江戸桜吹雪 八千両の舞」があるようだ。遠山の北町奉行就任は鼠小僧処刑から8年後。
 
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2012年7/3前後
 
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