遠山景元が町奉行だったのは家慶の治世だったが、忠之が北町奉行だったのは家斉の時代で、家斉の政治に問題が多かった。家斉の弟・松平右近が町医者・藪太郎を名乗り、一色由良之助が闇奉行となっていずれも隠密行動をして悪人を成敗していたものの、一色は諌死。
『八丁堀の七人』によると、忠之の職場だった北町奉行でも与力や同心たちが活躍していたが、大塩平八郎の乱もあった時期で、火付の黒幕が幕府で、七人は刀を捨てて将軍に直訴すべく千代田の城に入った。
 
『暴れん坊将軍』によると吉宗の時代には江戸の治安維持を将軍と奉行が担当していたが、多くの場合、協力者は南町奉行・大岡忠相のみで、北町奉行は不正が多く何度も成敗された。『八丁堀の七人』で描かれた家斉~家慶の時代になると今度は将軍と奉行が何をしていたかわからず、奉行所は与力が仕切り、幕政も老中や若年寄などが進めていた。
 
中村主水が活動した時期の大半は文化・文政、天保、幕末の3つの時期に集中しているが、文化・文政~天保初期は開放政策の時代で、法によるタガが緩んで不正が横行して庶民が苦しんでいた。天保末期は天保の改革の時代で、逆に法による引き締めが強化され、仕事人狩りが進んでいたものの、あらゆる文化活動が制限されて庶民の暮らしも楽ではなかったようだ。江戸時代は元禄から黒船まではこういう「野放し」と「綱紀粛正」の繰り返し。昨今の日本でも「改革」や「規制緩和」がかつては夢だったのが、今では悪政の代名詞とされる傾向すらある。
幕末は政治を武家から朝廷に戻すことで、平安時代末に平清盛や源頼朝たちが政治を朝廷から武士に移して新しい世の中を作ろうとしたことを振り出しに戻すことであった。
日本の時代劇で描かれる日本の歴史は、人々が改革を望みながら、改革されたらそれが「天国」から「地獄」になったということの繰り返しのようである。