1970年、日本シリーズで川上監督はサムライの必要性を長嶋に語った。

1971年のシーズン終了、巨人のV7は『侍ジャイアンツ』文庫第3巻の151ページ(【4】執念の章、涙で最多男花!の巻)で描かれていたが、番場は投手守備の弱点を阪神のウルフと村山監督から指摘され、八幡からもうノックを受けており、番場蛮が日本シリーズに出たような描写はない。

1972年の巨人と阪急の日本シリージは『侍ジャイアンツ』文庫第5巻の254~255~273ページ(【7】魔球の章、友が呼んでいるの巻)で描かれ、292ページ(【8】不死鳥の章、地獄に栄光をつかめの巻)冒頭で巨人のV8が新聞で報じられているが、番場は出場していなかった。
番場はハイ・ジャンプ魔球がバントによる投手ゴロに弱いことをヤクルトの眉月に突かれ、全身で着地することで防いだが、番場はそれで傷だらけとなり、日本シリーズには出られなかった。

原作で番場は故郷・土佐の海で大回転魔球を編み出す特訓をしていた。番場は南海との秋のオープン戦に出るよう命じられ、長嶋が肩車作戦でHJ魔球の弱点をカバー。周りがそれで「HJ魔球存続」を想定している間に、次の魔球を編み出すよう、長嶋は番場にアドバイスした(文庫第5巻末)。

1973年、パ・リーグの優勝は野村監督率いる南海ホークスで、番場蛮が対戦した。これはアニメでも描かれており、アニメでは番場は分身魔球の時期。
原作では文庫第7巻の140ページ~221ページ(【9】不死鳥の章、運命の日本シリーズの巻)でこの日本シリーズが描かれ、番場が大回転魔球と分身魔球の間に位置するハラキリ・シュートを編み出した時期であった。

1974年、番場蛮は分身魔球の投げすぎでシーズン中に倒れた。パ・リーグの優勝はロッテ、セ・リーグの優勝は中日であった。

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2011年11月